作詞家,作曲家になろう!さくなろ道場

作曲家、作詞家を目指す君へ。現役マネージャーが教える作品創りのコツ、裏ワザ、一般常識などなど…誰も教えてくれなかった情報満載です。

作曲Q&A デモの聞かれ方は時代とともに…

お疲れ様です。

お元気ですか?

 

さて、作曲家志望のチャンプ坂本くんがトミー爺の事務所で雑談中、、なにやら色々と質問攻めしている様子です。

 

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その昔、編曲は作曲家がやっていた…

トミーさん、なんで作曲家がデモアレンジをしなくてはいけないんですか?

だって作曲家はメロディを作るのが仕事でしょ、、、

 

トミー爺 「チャンプくん、だね、、でも昔は作曲家が編曲までやっていたんだよね」

 

チャンプ 「そうなんですか?それがいいな…」

 

NHK朝ドラ「エール」って見ていましたか?

あの古関 裕而さんが主人公のドラマ、その中で作曲家はデモではなく「楽譜」をレコード会社に提出してシーン覚えていません?

そうなんです、あの時代は当然自宅録音など全く考えられない時代ですから、作曲家は楽譜を書いて提出していたんです。

でもある時期に作曲家は時間が無いので弟子に編曲を任せるようになった…それが編曲家が生まれた背景だったようです。

 

編曲家全盛の時代1970年~1990年、そしてDTMがその流れを変えた

そして1970年以降、職業アレンジャーが大活躍する時代に…トミー爺がロックオンで働いていたのもその時代、、それからMTR(マルチトラックレコーダー)が台頭してきて作曲家はMTRを使ってデモを作る様に…

 

そしてパソコンの普及とともにDTMDAWと呼ばれる音楽ソフトが大流行、初心者でも自由に使えてデモを作れる時代に…

 

ということは以前の作曲家が編曲をやっていた時代に逆戻りしたって事かもしれませんね

 

チャンプ 「なるほど、、そういうことだったのか?」

トミー爺 「そうだね、、元の鞘に戻ったって事だよ、、」

チャンプ 「でもですよ、、作曲家に求めすぎじゃないですか?」

作曲家はたくさん勉強しなければプロ活動は厳しい…


DTMの発達でスタジオを使わなくてもレコーディングできる環境になり、世の中で音楽が売れなくなったのが引き金になりレコーディング予算が以前の1/10くらいに減った

 

イコール作曲家のデモをそのまま完パケまで持っていかなくてはいけなくなった…

 

ということで作曲家に比重が掛かってくるとプロとして活動するためには日々の勉強が必要になってきたということですよ。

 

チャンプ 「トミーさん、じゃどうやって勉強するの?」

トミー爺 「それは今度またブログで紹介するよ、、果報は寝て待て…じゃ」

チャンプ 「何が、じゃ、ですか、、頼みますよ、ぜったいですよ」

本日のお薦めの一枚

この映画、音楽がめちゃくちゃ良い!超お薦めの映画です

 

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作曲デモ、イントロ、アレンジが採用率を上げる大きなポイント

さて今回は作曲デモ作りの最大のポイントの「イントロ」がデモの印象を決定付ける…そんな話を一緒に考えてみましょう。

 

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作曲デモの聞かれ方…時代とともに変化してきている

実はトミー爺の持論としてイントロは簡単に…と言い続けてきた時代があったんです。ちょうどSong Bankを始めたあたりかな…その当時、曲の採用を決定していたのがレコード会社のディレクター氏で、ほとんどの人が「メロディが分かる程度のデモでいいよ…」という感じでした。

当時はイントロとかのアレンジ、サウンド作りは編曲家の仕事でいい感じに分業出来ていたんです。編曲家が作曲家の考えたメロディに対して編曲という役割で色付けしていく…


だから作曲家の仕事はメロディを考える、デモは曲の概要が分かればそれでOK、、そんな時代でした。

トミー爺、個人的には今でもそう思っているのですが、でも時代とともに作曲家が作るデモの役割が変わってきたのは事実です。

限られた人がデモを聞く…から多種多様な業種の人がデモを聞く時代に

実はディレクター氏が曲を決めていた時代は、曲の決定権のトップがレコード会社のディレクターで、その人が関係者に対してその曲のビジョンを語り具現化していきました。

そしてCMやドラマのタイアップが決まった場合、その時点でアレンジャーに発注、ある程度レコーディングされたデモを会議で聞かせる…そんな流れだったのです。


でもそれから時代が変わってきてタイアップが決まるタイミングが早くなり、その為に作曲家が作ったデモを聞かせるしかなくなり、そのおかげで作曲家への負担が増えていったのです。

また以前は作曲家デモを聞きなれた人が曲を聴いて判断していたのですが、昨今ではそれ以外の一般企業の担当者が曲を判断する時代になり、その為には「これはデモだから…」という理屈が通用しなくなってきたんです。

 

作曲家のデモアレンジが曲の生死を決定する時代に…

そうなってくると作曲家がしっかりとデモを作らないといけなくなり、そうして今回の記事タイトルとにもある「イントロ」の重要性が出てきました。


つまり一般企業の人達って作曲家デモを聞きなれていない…だからそこから聞こえてくる音源を聞いて判断する事になります。

 

そこで一番大事なのが「イントロの作り方」です。


ここで「オーいいね!」と思わせられないとダメな時代に、もっと言うとそのデモアレンジと完成バージョンのアレンジや方向性が違っているとNGになる時代になりました。

 

だから作曲家も勉強が必要な時代になってきたということですね。

 

アレンジ能力はどうやって磨けばいいの?

正直なところ最短の道はないかな…あるのは過去の諸先輩たちが通ってきた道、つまり好きな音楽やカッコ良いと思える音楽を真似ることからスタートしてするしかないと思います。

この道が回り道に見えますが実は一番早く確実な方法だと思います。

 

とはいえもっと早くできる道ってないの?って意見が日本中に湧きあがってくる?

そんなわけない、、、笑い。

 

一つの案としてDTMソフトに付属しているドラムやリズムのループ素材ってありますね、、まずはメロディを作ってそしてループ素材を曲の長さ分貼り付けてみてください。

 

そしてコード系は白玉で良いので仮コードを入れてみる、、たぶん、こうするだけで全体の流れが出来ますね、、それからブラッシュアップしていく…たぶんある程度形にはなるはずです。

 

そうすると形が見えてくる…ということは自分のイメージと鳴っている音源の違いも具体的に分かると事になりますね、、その違いを埋めていく作業と勉強が必要だということです。

 

まずは、考えずに一度作ってみる…ぜひチャレンジしてみてください。

 

今日のお薦めの一曲

オーストラリアが生んだデュオ「エアーサプライ」彼らのメロディ、アレンジとっても勉強になります。ぜひ聞いてみてください

Forever Love: Greatest Hits (Arg)

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

若きトミーの人生航路2 もう上なんか見る気力が無いくらい負け続け

横浜市日吉にある「ヤマハ日吉センター」でアルバイトする事になったトミー少年、約7年ほどここで働くことに、、、そして、ここで将来につながる色んな人たちと出会い色んな経験をすることになったんです。

 

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こいつらには勝てないわ、、俺はスタッフとして生きていく

さてヤマハでどんな仕事をしていたかというと5部屋あるリハスタジオの運営管理。

エレクトーン教室の建物内楽器移動。研修ホール(収容は200名)会議用スペースに簡単なステージとPA装置常設、そんな総合施設のスタッフとして働いていました。
 

当時ヤマハポピュラーソングコンテスト(略してポプコン)やバンドコンテストのEAST WEST(関東甲信越エリア)を開催していて、日吉センターは横浜の中心的な存在。プラスセンターの外周に無料駐車場もありミュージシャンが集まってくる拠点。

 

実は、トミー少年、「俺はやれる!」そこそこ思っていたのですが日吉に集まってくる人たちはとんでもなくレベルが高かった、、、

 

まず友人に連れられて初めて日吉センターに行ったときに、ホールで高校生バンドがライブをやっていてボーカルもうまかったけどギターの少年が信じられないくらいのテクニックだったんですよ、、

 

「うわー、なにこれ!!」って感じで、東京では高校生でもこんなレベルなんだ、、

ミュージシャンの夢あきらめて良かった…本当に真剣にそう思いました。

 

それもそのはずそれから10数年後にその時のギター少年と再会、なんと彼はその後世界遺産のテーマを担当する鳥山雄二くんだったんです。

 

リハスタ3時間予約して4時間練習する謎のバンド

日吉のリハスタって1時間単位の貸し出しで、前の利用者が終わってから1時間空けて次の利用者に貸し出す。
 

そんなシステムで、ある時から週2回くらい午前中3時間予約するバンドがあったんです。彼らは日吉のシステムを良く知っていて、というか研究していて、予約開始が朝10時からだったのですが必ず11時から14時まで予約するんです。

そして朝10時ころ来て、「染さん、スタジオ空いてる、、じゃ荷物を入れてもOK?」なんて言いながら10時30分ころにスタジオに入っていく、そして14時30分まで練習する、受付スタッフも見逃していたんですがなんと計画的に練習していたんですよね、、そのバンドは4人編成で雰囲気的に不良っぽい風体、でも話すと良いやつ…
 

そしてある日「染さん、俺たちデビュー決まったから…」と言ってきたので「おめでとう!」と言ったはいいが、、、ホントかな?80%は疑っていました。
 

ところがある日、いつもの様に来た彼らの姿が白いドカン、革ジャン、サングラスで現れたんです。街で出会ったら絶対目をそらす風体ですよね、、そう彼らが横浜銀蝿だったんですね、、イヤービックリしました。

 

それから現在に至るまで仲良くさせてもらっています。

 

そうそう、あとで書かせてもらいますがトミーの「トミー」って銀蝿の嵐さんにつけてもらったんですよ、、

 

きゅーぱんとトラバツわらの犬…深夜ミーティングは井田デ

あの頃日吉に来ていたミュージシャン、仕事始めた頃は「わらの犬」というフォーク4人バンドがいて衝撃でした。

彼らの作る曲、アマチュアが作る曲ってそれなり…だと思っていたトミー少年、ところが彼らの作る曲ってプロのそれと変わりないくらいいい曲ばっかりだったんです。

 

本当にこれが東京の実力か!と思いました。
 

あと「きゅーてぃーぱんちょす」というバンドがいて彼らもすごかった、演奏は上手かったし曲もすごくよかった…彼らは後に「杉山清貴オメガトライブ」として大成功するのですが、あの頃はみんな目がギラギラしていましたよ、、トミー青年も含めてね(いつの間にか少年から青年に成長!笑い)

あの頃は日吉センターの仕事が終わったらミーティングと称して近所にあるディニーズがたまり場になっていて、そこで朝まで色んな話をしました、、若いですね、、青春ですよね、、笑い。

 

何が凄いって曲つくりと歌の上手さ、、みんなとんでもないくらい…

実は日吉でアルバイト始めた時に最初に遭遇してしまったのが、デビュー前の渡辺真知子さんでした、、これって衝撃ですよ、、北海道の田舎育ち、井の中の蛙大海を…ですよ本当に、、、あの頃日吉センターに集まってくるミュージシャンたちはレベルが違っていて、特にすごいと思ったのは「歌の上手さ」と「オリジナル曲作り」のレベルが違う。


やっぱりあの当時はネットが無かったので音楽の情報は大都市にかなり集まっていたのかも、、ポプコンに関係していると九州エリア、関西エリア、東京でもいくつかの拠点ショップがあってみんなしのぎを削っていた、、良い曲が生まれてくるのは当たり前ですよ。


みんな音楽をスポンジのように吸収していたし、音楽を聞いている量が違っていた…それは上手くなるし、そしてライバルも多かったので追いつけ追い越せの良い循環があったんでしょうね…

さて、トミー青年の話に戻りましょう。

 

PA、RECエンジニア、舞台監督、企画構成、色々やったけど上手くいかない

さてトミー青年としては色んな仕事をやりました。しかし、何をやっても仲間に先を越されて、追い抜かされてしまう、、早い話、すべて中途半端。

 

自分自身、本当に悩みました、日吉の中ではある程度できるのですが、しかし、プロとして活動できるレベルでは自分としても無いと思うし、またヤマハの社員になる話も一向にない、、周りはどんどんプロデビューしているのに自分だけ取り残されて行く感じでしたよ、、本当に

そんな時に一途の希望が、、、
あるバンドがプロデビューの手助けしてくれないか…という話が、、彼らと一緒にプロへの階段を上がって行く…これは唯一自分のスタイルに合っている感じが、いやその道しかなかったかな?自分の進む道としては…

そうすると今まで中途半端と思っていたPAも舞台監督の仕事も頑張ってやれるようになっていって、でも本業はバンドデビューの手助けの仕事…みたいに割り切れるようになったんです。

そのバンドがTRY-Xというバンド、今のトミー爺の会社の名前になっている。

…で、あの当時TMネットワークが出てくる前、打ち込み中心でそれに加えて、ドラム、ベース、ギター、キーボード、パーカッション、ボーカル、シンセのマニュピレーター、というメンバーがいる、斬新な編成でした。

デビューの夢は破れて途方に暮れるトミー青年、作曲家のマネージャーに

TRY-X、結構いいところまで行ったんです、レコードメーカーの最終オーディションまで行ったけど、結局デビューかなわず…はっきり言って目の前真っ暗ですよ。

そしてバンド解散。

もう崖っぷちです、、夢破れてそして何もなくなった…って感じでした。


ただ、バンドのリーダー、T君が作曲家としてやっていきたい…と言う事で、その手伝うことにしました。というか、その選択肢しか無かったんです、上を向いて、前向きにやれることが 、、
 

やれることは全部やってみた…が結果が出せない日々が続く

まずはバンドで最後にお世話になったプロデューサーに相談、、しかし、運悪くそのプロデューサーが制作から宣伝に移動になった…どこまでついていないのか?

そして新しいプロデューサーを紹介してもらい、その人に会いに行きました。

 

おっかなびっくりですよ、デモを聞かせていると一言

「彼、T君、才能あるね…今、稲垣くんの曲集めているから何曲か聞かせて…」

 

と言ってくれたんです。


「彼、才能あるね…」この一言に大感激のトミー青年。

そうそう、稲垣くんというのは稲垣潤一さんの事でそのプロデューサーだったんです。

 

そこから二人で必死に食い下がりました。

しかし、それでもダメで、採用されず、、本当に挫折です。

作曲のT君も、トミー青年ももう立ち上がれないくらいにナイアガラの滝の上から真っ逆さまです、、

でもある日電話が鳴り、チャンスが訪れたんですよ、、

 

「T君って最近忙しい?アニメを歌う女性歌手がいるんだけど曲書いてみない…」

これは人伝えで面白い作曲家がいるってある事務所に噂が流れ、そしてその関係ディレクターから連絡が来たのです。

 

そしてついに作曲デビューがそれがアニメ「きまぐれオレンジロード」のエンディング曲「夏のミラージュ」。


www.youtube.com

 

夏のミラージュ

作詞 湯川れい子

作曲 Tsukasa

編曲 鷺巣詩郎

歌  和田加奈子

 

うれしかった…本当に…

 

これから色んな縁がつながっていくことに

 

こうご期待

 

トミーが推薦する今日の一曲

という事で今回は和田加奈子特集という事でこの3アイテム。非常に上質なポップスだと思います。ぜひ聞いてみてください。

ディア

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

若きトミーの負け続けジグザグ人生航路~ヤマハ編~

お疲れ様です。
還暦親父の旅日記に書かせてもらった記事「人生はジェットコースター」を「さくなろ道場」、もう少し音楽、作詞、作曲の目線でリライトしてみようと思います。

はたしてどうなるのか?

お楽しみに…

 

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音楽少年19歳で北海道から26時間かけての上京編

実はトミー爺、北海道小樽生まれの旭川育ちなんです。
1974年ころだったかなクラシックのレコーディングエンジニアになりたかったトミー少年、どうせ目指すんだったら東京の日大芸術学部に入りたい…と思い、必死に勉強するも見事1浪。北海道で一人で勉強していても合格できない…と一念発起。

 

両親に頼んで東京の予備校に通うことにしたんです。

その当時飛行機なんて高くて乗れないので、当然電車移動。

今だったら旭川空港から一飛びで東京行けるのですが、その当時は特急移動、それも時間がかかる、、たしか、、

旭川~札幌経由で函館へ  9時間

函館~青森 青函連絡船  5時間弱

青森~上野        12時間

 

凄いでしょ、、それも列車はリクライニング無のボックスシート、約一日座っているんですよ。

 

おまけに3月くらいの移動だったので雪で列車が平気で2~3時間くらい遅れる、そうすると函館で連絡船に乗れない、当然、青森で乗る予定の列車にも乗れない…

 

今だったら考えられないですよね、、、とにかく大変だったんです。

 

2浪したトミー少年、スナックのママの一言で専門学校へ

初めての東京暮らし、確か調布の深大寺にアパートを借りて一人暮らしのスタート。

そこから予備校に一年間通いました。

 

一年間予備校で勉強したけど、日芸の壁は高く、結局その年も落ちてしまう、プラス、日芸しか受けなかった、滑り止めなんて考えられなかったんです。

 

エンジニアになる為には日芸受けるしか道はない…と思い込んでいたから3浪するしかない…そんなふうに思い込んでいたトミー少年に神様がささやきかけてくれたんです。

日大芸術学部って江古田って街にあって、受験した日にふらっと入ったスナック。

ここがトミー少年の人生を変えた場所、一言なんです。

 

「お兄ちゃん、日大芸術学部でてもだめだよ…」

 

確かこんな風な事だったと思う、その一言を聞いてなんか吹っ切れて、そうか別の道でエンジニアになろう…

 

なんか漠然とそう思い込んでしまった。

人生、方向転換する時ってそんな感じなんですね…

 

そして吹っ切れたトミー少年、上野にある放送系の専門学校に入る事に、これがトミー少年の人生を決定つける行動だったんです。

 

初めてのレコーディング実習はフェードイン、フェードアウト

そして入学したのが千代田テレビ技術学校「放送学科」というところ。

放送学科で音楽レコーディングについて勉強しようとして入ったけど、実際にやったのはフェードイン、フェードアウトの実習だけ。

 

でもあの当時のトミー少年には革命的な実習でしたよ、、、なんせ初めて音楽をミキシング?したんですもの…笑い。

 

そんな専門学校だったけど唯一良かったのは同級生、仲間。

 

当然、仲の良いグループが出来て、その中に今でも仲良くしてもらっている友達がいて、彼はヤマハ関係のバイトをしていたんです。

 

トミー少年、初めての音楽のバイトは武道館

人生を振り返ってみると本当に友人、仲間に恵まれていると思いましたよ。

 

専門学校(2年制)の1年の秋に声がかかったんです。

 

「染めさん、武道館で仕事があるんだけどやらない…」

 

武道館ですよ、、あの…

 

当時のヤマハポプコンポピュラーソングコンテストの略)をやっていて、その最終段階が世界歌謡祭でその歌謡祭の仕事があるっていうんです。

 

確か交通費しか出なかったと思うけど、お金なんかどうでも良いですよ。

音楽の仕事ができれば…そこでスタッフさんと仲良くなって…なんて考えていました。

 

その仕事というのが開場前に座席にチラシを置く仕事、そして開場になったらお客さんの席案内でした。

 

音楽の仕事では無かったのですが、トミー大満足でした。

ポプコンのトレーナーをもらって、歌謡祭のパンフレットももらった。

 

そうそう、その時のグランプリが中島みゆきさんの「時代」でした。
この曲はあとでリアレンジされたやつ 

時代

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 こちらがオリジナルのCDバージョン 

時代

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兎にも角にも この曲が世に出る瞬間を目撃したんです。

この曲は今聞いても完璧ですよね、、あの当時のヤマハのレベルの高さが聴き取れます、というよりも中島みゆきさんという人を世の中に送り出した功績、これが最大かもしれませんね、、

 

それ以外にもすごい人たちが、チャゲ&飛鳥八神純子因幡晃、サンディ、松崎しげる、、その人たちのリハーサル、本番を見ることが出来た。

 

中でもサンディは衝撃だった、あんなに歌が上手い人って世の中に居たんだってね

そこから5~6年後に再開するのですが、まだまだ先の話です。

染さん、日吉に新しくヤマハのセンターができるから来ない

確か1年生の終わりくらいだったかな?

 

ヤマハでバイトしていた仲間が「染さん、日吉にヤマハができるんだけど手伝ってくれない」って誘ってくれたんです。

 

神奈川県の横浜にある日吉という街、日吉と言えば慶應義塾大学がある所で有名。

 

そこにヤマハの音楽センターが出来て、エレクトーン教室、幼児科、バンド練習用のスタジオ、ポプコン用の録音スタジオ、小ホールがある施設でした。

 

そこのバンド練習スタジオを中心とした音楽センター全般での仕事。

 

断る理由ってなかったんで「いいよ!」って軽く返事をしたんだけど、その返事がその後の人生を変えるなんて今は夢にも思っていないトミー少年でした。

 

【予告】、、笑い。

 

ヤマハのセンターで働くことになったトミー少年。

のちの音楽シーンを塗り替えるような人たちと親交を持つことになるんです。

 

そしてこのへんから紆余曲折の人生スタートです。

 

と言いながら最初でお話しした作詞作曲の話って出てこなかったですね、、次は、、期待していて下さい。

 

今日のお薦め一枚

あの時に武道館で聞かせてもらった八神純子さんの作品ベスト

 

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音楽家の中で「主人公の生き様」を書けるのは作詞家だけです。

今回は作詞を始めた時にみんな陥る「ストーリーライター(物語のあらすじ的な詞)」に陥らないようにどうすればよいのか?一緒に考えてみましょう。

 

 この記事の内容は

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ストーリーライターにならないで 

あれっ?以前書いた記事で「作詞にはストーリー」が必要、、、って言ってたんじゃないの?と思われる人もいるかな?、、、いないか、、笑い。

sakunaro-dojo.sakushisakkyoku.com

確かに詞にはストーリーは大事なんですよ、、ただし、「荒筋だけが書かれた詞」では何か物足りない…と思いませんか?

荒筋だけの詞は何かが足りない 

作詞を勉強する時、最初はストーリーを書く事に終始しがちです、、ただ、最初はストーリーを考えて作詞することは必要なんです。

 

実はトミー爺も皆さんにそう教えています。

作品を相手に伝えやすくするためには「物語」は必要不可欠なものだと思っています。

ただ、今回の内容はその次の段階の話、、物語を考えて作詞をする、、これはこれで一つの通過点として必要な過程なのですが、ただ、そのストーリーを書く訓練の目的は「主人公の生き様」を書くためですよね。

 

その為の基礎訓練だという事を意識したうえでストーリーを考えることが必要です。

 

主人公がどんな生き様をしていくのか?

 

詞ではその生き様がリスナーの共感を得てヒットしていくのだと思います。

 

その為に必要な要素としてストーリーがあるという事を意識して作詞をするようにしましょう。

ハラハラ、ドキドキのドラマには主人公の生き様が…

ドラマや映画を観ていて「ハラハラ、ドキドキ」する作品って面白いですよね、、

 

でもここで一つ考えて見たいのは、視聴者って「ハラハラ、ドキドキ」するストーリーが面白くて作品を見ているのでしょうか?

もちろんそれもあると思うのですが、実はその難事件を乗り越えて行く主人公の姿に共感しながら、作品を見ているのではないでしょうか、、、

 

例えば、難事件を一つクリアした主人公、でも予告編でまた難事件が次々に起こる、、、

 

そうすると視聴者は

「どうやって乗り越えるの?」

「えー、大丈夫?」

「〇〇ちゃん、頑張って!」

と応援しますね、、この視聴者が主人公の生き様を応援、共感する詞を書ける事が作詞には重要なポイントだと思います。

生きたストーリーを書く為のStep by Step

まず最初に意識する事はしっかりと「テーマ」を考えることがポイントです。

この作品で何を伝えたいのか?

ここが作りて側が見えていないと、最終的な着地点が曖昧な感じになってしまいます。

 

その為に必要なのはその「テーマ」をより分かりやすく書き上げるために必要な


「登場人物の設定、表現」

「主人公、作品のストーリー」


を作り上げる事だと思います。

ブレないようにテーマを絞り込もう

まず、ここが曖昧だったらダメなので、しっかりと「何を伝えたいのか?」を考え、絞り込んでください。

 

例えば、カップ麺を例にするとわかりやすいかも…数年前にNHKの朝ドラで「まんぷく」このドラマ大好きだったので、それを例にお話しすると

www6.nhk.or.jp

主人公の萬平さんが考えたのは

「誰でも簡単にお湯を注げば食べられる美味しいラーメンを作りたい」


これが作詞でいうテーマの部分になります。

 

ではどうやったらそれが実現できるのか?

  • 麺をどうやって作ればよいのか?
  • 容器の形状を考える
  • 具をどうするのか?
  • etc

この部分を考える事が製品を完成させるために必要なストーリーです。

 

「誰でも簡単にお湯を注げば食べられる美味しいラーメンを作りたい」というテーマ、これがブレてしまうと出来上がってみたらカレーライスが出来てしまった、、さすがにこれは無いか?笑い

最初はストーリーを意識して書く 

このストーリーを書く訓練は「作詞の基礎練習」にあたる部分だと思ってください。

 

ですので、テーマをぶれない様に書く事を頭に置いて皆さんは最初ストーリーを書きあげる練習をしてください。

 

そのうちにだんだんその作業に慣れてくるはず、、その時が次のステップに移るタイミングです。 

慣れてきたら熟考して一気に書き上げる

その作業に慣れてきたら、一度、一気に書き上げてみて下さい。

その時にこれまで勉強して来た「ストーリーを考える」という事が活きてくるはず。

 

、、というのも、作品を見直した時に「この書き方だと分かりづらい」と気づけるようになっているはずだからです。

 

それが見えたら、修正をして、そしてまたチェック。

 

この作業を繰り返せるようになると生きた、活きた作品が書けるようになるはずです。

 

ただし、この域まで来るためには相当時間がかかると思いますが、日々の一歩一歩の積み重ねで必ず出来るようになるので、諦めないでチャレンジ続けて下さいね。

 

まだまだ続きます。

 

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トミー爺のお勧め本

作詞ってこんなに楽しい! 「普通の生活」から始めよう

読み進めていくうちに自然と作詞をしたくなる

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3000曲以上の作詞をし、数々のヒット曲を手がけた、日本でも数少ない、生業を「作詞家」といえる著者の「作詞読本」。

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また、類書にはない作詞の推敲例を取り入れ、プロとアマの言葉へのこだわりの差を実践で解説する。

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旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

主人公の「理由(わけ)」が伝わる時、歌詞は巷を一人歩きする。

皆さん、お元気ですか?

さて、今回は「魅力的な人物像」の作り方について一緒に考えてみましょう。

ドラマや映画を観ていて「あの人の生き方かっこよいな…」とか「あんな人になってみたい…」と思わせるのはそこに「魅力的な主人公」が描かれているからだと思います。

この記事の内容は

この映画の主人公って素敵に描かれていると思いません?

皆さんは映画「プラダを着た悪魔」って見たことがありますか?

プラダを着た悪魔 予告編】

www.youtube.com

アン・ハサウェイが演じる主人公アンディ。ファッション業界のカリスマ編集長、メリル・ストリープ演じる鬼編集長ミランダの助手になり成長していく…そんな物語なのですが、この主人公がとっても素敵に描かれているんですよ。

実はこの感覚って作詞をする上でとっても大事なポイントになります。

歌詞の主人公は歌手でもあるし、聞いている人たちでも…

皆さんが案外見落としているポイントがあります。

それは「歌詞の主人公は歌手」という事、そして聞き手はその歌手像を通して自分と置き換えて聞いているという事です。

 

作詞を初めて最初のころって書き手は自分中心に、自分を表現するって事に意識が行ってしまう事が多々あります。

 

でもその詞は自分の為ではなく歌う歌手、曲を聴くリスナーの為に作詞家(あなた)が書いているという意識を忘れないようにしなければいけません。

 

そしてその歌手が素敵な主人公を演じられるように物語、素敵な主人公作りをすることが必要です。

 

登場人物の年表を作ると意外と全体像が見えてくる

ではどうやったら「魅力的な登場人物」を描けるようになるのか?

これは人それぞれの様々な方法論があると思います。

 

ただ、ちょっと気になるやり方をしている人がいるんです。

それは脚本家の倉本聰さん。


倉本さんと言えば「北の国から」などで有名な方です。


その倉本さんがテレビのドキュメンタリーで取り上げられていて、そこでおっしゃっていたのは、脚本を書き上げる時に「登場人物、全員の年表」を考えるとおっしゃっていました。

つまり登場人物の生れてから死ぬまでの年表を考えてから作品作りに入るという事らしいです。

Aは何年に生まれて、〇才の時に〇〇と恋に落ち、そこで初めて性体験をする、、しかし、そこに恋敵Bが現れて二人の間を邪魔する、そしてBの行動によって、ついにはAと〇〇は別れてしまう、、、

みたいな事をもっともっと細かく練り上げていくらしいです。

それを考えて行くと、人と人との絡み方やドラマが必然的に見えてくるって言っていました。

なぜこんな年表の話を紹介させてもらったか?、、、というと

行動には必ず理由がある、、その理由が世の中に共鳴していく 

その人の行動には必ず理由があるから…だから倉本さんは年表を作って理由探しをしているのかもしれませんね

そしてその理由こそが歌詞、物語の最大のクライマックスになる所だと思います。

 

主人公がある行動をしたとしましょう、、その行動の理由があるからこそ、行動や仕草、言葉に重みが出てくるのだと思います。

 

【例1】 

例えば、先ほどのAと恋敵Bの話で考えると大人になってから、ある些細な事件でAはBを殴った…としますね、、その理由が過去の〇〇との事と同じ行動をBがしていたから…

 

その現在の状況だけを考えるとAがBを殴る理由が分からない、、けど、年表をたどっていくとそこには理由がある、、、

 

【例2】 

例えば、男の人が女の人を抱きしめた…という行動があったとします。


作詞家が「君を抱きしめる…」と詞に書いたとしますね。

でもこれだけだったら「抱きしめる」という行動です。


でも、その抱きしめるという行動の理由

  • 好きだから、愛しているから
  • 相手が凍えそうだったから
  • 相手が可愛かったから
  • 相手が可愛そうだったから

もっともっと沢山あると思うけど、そこが読者、聞き手に伝わるかどうか?で「抱きしめる」という行動の重さが違ってきます。

 

そうそう、その気持ち分かるな、、、、泣けてくるよ、、

聞き手にそう感じさせるためには、書き手が「主人公の行動の理由」が見えていないとダメって事ですね。

そう考えると「理由」ってとても大事なポイントだと分かります。


作品を膨らませて行く良い方法をお伝えしましょう。
それは作品作りの時は作詞ノートを活用するとアイデアが膨らみやすくなりますよ。

自分で紙に自分の言葉で書いてアイデアを練っていくと不思議なことにどんどんアイデアが繋がって、湧き出てきます。

これがパソコンを使ってその作業をすると、頭の中の情報を整理していく感じになり、アイデアを生むというよりは、まとめていく…みたいな方向に行ってしまう事があるので、作品構築する時はぜひ作詞ノートを活用してみてください。

トミー爺も勉強会の課題を考える時とか、仕事のアイデアを考える時は必ずノートや手帳に書いて膨らませて行きます。

 

ぜひ皆さんもやってみては…

今日のお勧め本

尊敬する作詞家、松本一起さんが書かれた作詞教則本の紹介です。

読み進めていくうちに自然と作詞をしたくなる

  • 作詞に興味がある人
  • 作詞を始めたい人
  • 作詞にいきづまっている人へ、

3000曲以上の作詞をし、数々のヒット曲を手がけた、日本でも数少ない、生業を「作詞家」といえる著者の「作詞読本」。

  • 作詞のテクニック
  • 作詞家としての生活意識
  • プロとしての姿勢
  • 80年代の音楽業界での逸話など話題満載。

また、類書にはない作詞の推敲例を取り入れ、プロとアマの言葉へのこだわりの差を実践で解説する。

お薦めの映画

という事で今回は「プラダを着た悪魔」です

そしてその続編になる映画「マイ・インターン

 

【トミー爺の関連サイト】

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人と音楽をつなげる TRY-X Music

作詞家作曲家を育てるSong Bank 

【ブログ】

旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

作詞Q&A 歌詞は全力で書かなくても良い?

作詞コラムいつも読んでくれてありがとうございます。ただ、読んでいると「?」って事がたまにありますね、、いや毎回という声が聞こえてきそう、、笑い。

 

そこで今回は作詞家志望の「しわき 泉」ちゃんに登場してきてもらって、その分からない事、思いのたけをトミー爺にブチかましてもらいましょう。

 

どうなるのか?お楽しみに…

 

この記事の内容は

歌詞って全力で書くものじゃないですか?

ある日、トミー爺が事務所で昼間っからビール片手に音楽を聴いていると、作詞家志望のしわき泉ちゃんがやってきました。あれ?なんか言いたそう…

泉  「トミーさん、昼間っからビールですか?」

トミー「おおー、、ウィッ、泉ちゃん、、どうしたの?」

泉  「どうしたの?じゃないですよ、今日は聞きたい事があって来たんですよ」

トミー「そうかそうか、、聞きたい事ってなに?」

泉  「この前のブログ、作詞は腹八分目が良い…ってどういう事ですか?」

   「私はいつも全力投球で書いているのに腹八分目って、、もう、、」

 

sakunaro-dojo.sakushisakkyoku.com

書くのは全力で、、でも書き込みすぎないように、、がポイント

もちろん作品を作る時は全力投球で作るのが原則ですが、ただ書き込みすぎない…と言う事を意識してください。

 

例えば、坂本冬美さんの「また君に恋してる」を例にすると

www.youtube.com

【歌詞】

www.utamap.com

 

メロディと歌詞の役割度合が絶妙

歌詞とメロディのバランス、丁度良い、絶妙だと思いませんか?

これで歌詞が行き過ぎるとメロディや歌が聞き手に伝わってこなくなり、逆に歌詞が抑えめになってしまうとメロディが勝ってしまい歌詞が届いて来なくなる…

 

その感覚を言葉にすると「腹八分目」と書かせてもらいました。

 

特に曲先(曲が先にあり、詞をあとでつける)の時はメロディのリズムや抑揚が分かるのでそれをしっかりととらえて歌詞を書くことが重要だと思います。

 

歌詞にメッセージ性が強い時はメロディは単調になる

例えば、尾崎豊さんの「17歳の地図」を見てみましょう。

www.youtube.com

【歌詞】

www.utamap.com

どうですか?

歌詞が多いですよね、、メッセージ性が強い、、メロディに注目してみるとずっと同じ音が繰り返される、単調なメロディラインになっているのが分かります。

 

つまり、このメッセージ色の強い詞に起伏が多いメロディだと情報量が多すぎて難しい歌になります。だからメロディが単調にして歌詞が伝わるように作られているんですね

 

泉  「なるほどメロディと歌詞のバランスね…何となく理解できました」

トミー「ちょっと難しいけど意識してみると良いと思うよ、、ヨロピコ」

泉  「何、そのヨロピコって、、、もう、、」

今日のお薦めのアルバム

Love Songs~また君に恋してる~

Love Songs~また君に恋してる~

  • アーティスト:坂本冬美
  • ユニバーサル ミュージック (e)
Amazon

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