作詞家,作曲家になろう!さくなろ道場

作曲家、作詞家を目指す君へ。現役マネージャーが教える作品創りのコツ、裏ワザ、一般常識などなど…誰も教えてくれなかった情報満載です。

映画「プラダを着た悪魔」から学ぶ物語、人物像の作り方

お疲れ様で~すのトミー爺です。

 

今回は映画「プラダを着た悪魔」から学ぶ作詞術と称して、作詞に物語、ストーリーがどれだけ大切か、、を一緒に考えてみましょう。


興味ある方も無い方も、、、最後までぜひお付き合いくださいね、、よろしく!

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 映画やドラマには魅力的なストーリーがある 

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作詞にはテーマを魅力的に表現する為に魅力的なストーリーが必要不可欠です。

そして ストーリーを面白くするのは、作詞家の発想力です。

 

今回はそこに焦点をあてて「作詞の為のストーリー作り」を紹介させてください。


作詞にはしっかりとしたテーマを考えるのが重要です。

そして、そのテーマを最大限に聞き手に伝える為に「ストーリー」「物語」が必要不可欠なんです。

 

興味がある人は下の記事でチェックお願いします。

sakunaro-dojo.sakushisakkyoku.com

ただのハッピーエンドの物語はつまらない 

例えば、こんな物語、ストーリーだったら、あなたはどう思いますか?

ある素敵な女性がカッコよい男性を好きになって結ばれました!

ハッピーエンド!!

これでは面白くないですよね。


そこで「ある女性が…」という所を「失恋して落ち込んでいた女性が…」とするだけで、どんな恋愛をしたのだろう?


とちょっと興味が湧いてきませんか?


作詞の場合、書こうとしているテーマに対して、どんなストーリーが作れるのかがポイントになります。 

そこが作詞家の腕の見せ所であり、個性が表現できるところだと思います。

 

プラダを着た悪魔」から学ぶ魅力的な人物像、物語の作り方

 

プラダを着た悪魔」っていう小説って知っていますか?

(2003年4月に刊行された米国の小説、ローレン・ ワイズバーガー著) 

【あらすじ】

ジャーナリスト志望の主人公が悪魔のような最悪の上司の下で前向きに頑張り成長していく姿を描いた物語で、主人公の頑張る姿が同世代の女性から支持を受け、世界的なベストセラーとなった小説。

世界27か国語に翻訳されていて、日本語版は早川書房より発行されています。


2006年に映画として公開され大ヒットしましたね

で世界的な大ヒットになった映画、、トミー爺もヘビーローテーションしている映画なんです。

www.youtube.com

この映画で一番すごいな…と思ったのは、

キャリアのためとはいえ、私生活はめちゃめちゃ。この会社で、このままでいいのか、、? 自分は本当は何をしたいんだっけ、、、、、?と悩む女性が描かれていて、そして次第に彼女の才能が開花していく、、、そんなサクセス物語が描かれている映画です。

 

しかし、そのまま上り詰めて行けば天下をとれるはずだったけど、天下取りの道を選ばず、自分らしい生き方を選択させた著者の考え方がすばらしい。

そして映画の中の主人公の生きざまがかっこよかった。

彼女に生き様に沢山の人達が共感して拍手を送ったはず。

今までは片時も手放さなかった携帯電話を噴水の中にポイって投げ捨てる、そして前を向いて歩いていく、、彼女、カッコよかったです。

 

歌手は色んな物語を歌えるから好き 

そして歌の世界でも同じことがいえると思うんですよ。

以前、ある番組で歌手のクリスハートさんが「歌で色んなストーリーを歌えるのが好き」と言っていました。

そういってもらえれば作詞家冥利に尽きますよね!

 

これからも解るように作詞家の仕事って「物語を作る、魅力的な主人公像を作る」事。

先ほどの「プラダを着た悪魔」でも主人公の生き方、、

 

頑張って出世する主人公  

  1. 一つの生き方
    憎たらしい上司を蹴落として自分がその上司の地位を引き継ぐ

  2. もう一つの生き方
    今の地位を捨てても自分らしい生き方を選ぶ主人公

 

このどっちの生き方もありだと思います。

 

「1」の生き方はヒーロー系のストーリー、「2」の生き方はヒューマンドラマ系のストーリー。

 

皆さんだったらどっちの生き方を選びますか?

 

そういう意味で映画や小説って、色んな生き方を教えてくれる教科書だと思います。

 

ただ、人それぞれ同じ映画を観ても感じるところが違いますね、それが経験値でもあり個性だと思います。

 

同じ映画を観て「3」を感じる人、「10」を感じる人。

 

決して優劣をつけるものではないですが、作詞を志すなら、出来るだけ沢山の事を感じ取れるようになれると良いですね。

 

トミー爺も、もっともっと自分磨きをしなければ、、って思ってしまいますよ。

 

トミー爺のお勧め映画

恋に仕事にがんばるあなたへ贈る
ゴージャス&ユーモラスなサクセスストーリー

映画の言葉 “決めるのは、あなた"なんとも素敵な言葉ですね

2番が書けない時が「Step up」のBest タイミング?

お疲れ様で~すのトミー爺です。

さて、皆さん作詞をしていて1番は書けるけど2番が…と言う人いませんか?

それって原因は…

 

今回はそんな話を中心に行ってみましょう。

ということで意味もなくハイネケンの写真、、笑い。

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2番が書けない…ひょっとして書きたい事…見えていないのかも

普段の友人同士の会話を想像してみてください。

あなたがある事を話した時に、相手はちょっと理解できていなさそう…そんな時にあなただったらどうしますか?

 

ちょっと目線を変えて、例え話などを使って分かってもらおうとしませんか?


最初の話、、、例え話、、、

でも、どうして伝えたい話、内容を例え話に言いかえれるのでしょうか?

たぶん、話す時点で相手に伝えたい内容をしっかりと把握しているから、例え話を持ってこれるのだと思います。

これって作詞にあてはめられるのでは?

一番だけしか書けない…そんな悩み持っている人いませんか?

皆さんの作詞スタイルはどんな感じ?なんとなく作品を書いていて、それで一番が出来た…でも、うーん2番が、、、という感じではないですか?

 

例えば、こんなパターンで作品作っている?


「何となくテーマを書き出してみる」そこからイメージで出てくる言葉を並べてみて作品作りをする…

例えば、「失恋」をテーマにしよう、、と考えますね。

でもテーマ設定がまだ漠然としているのでなかなか前に進まない…


たぶんこのパターンだと思います。

どうでしょう…

テーマに沿って物語を作る意識を持て!その突破口は登場人物…

先程のテーマ「失恋」、これだけだと行き詰まるけど、そこに「AくんのB子さんへの失恋」とするのはどうでしょう…そこに主人公とヒロインを登場させてみると状況は一気に好転するはずです。

 

主人公とヒロインが登場する事でいろんな物語を考えることができます。

 

さてここで「作詞Q&A」登場してもらっている泉ちゃんに登場してもらいましょう

 

ーある日のトミー爺の事務所でー

「おはようございま~す、泉で~す」

「トミーさんいますか?」

 

陽の当たる窓際のソファーでうたた寝をしているトミー爺を発見。

 

「トミーさん、また寝ているんですか?」

 

トミー爺

「アー、、、、泉ちゃんか、、、」

「いい天気だよね、、ついうとうととさ、、、」

 

「トミーさんは呑気でいいですね!!」

 

トミー爺

「そうそう、、呑気は損気、、なんちゃって。。」

「ところで泉ちゃんどうしたの?詞出来た?」

 

「一応書いているんですけどね、、」

 

トミー爺

「どれどれ、、、」

 

作品を見てひとこと、、、

 

「泉ちゃん、1コーラスしか書けていないね、、」

 

「えっ? 一番だけじゃだめですか?」

 

トミー爺

「だって通常の曲って2ハーフあるでしょ、、」

「1コーラスだと曲にならないと思うよ。。。」

「まずはフルコーラス書き上げる習慣をつけないと、、、」

 

「そういえばそうだよね、、」

「2ハーフだよね、、出来るかな?チャレンジしてみるね」

 

1番は書けるけど、2番が書けない… 

 

あれから数日たって「さくなろ音楽事務所」では、またまたトミー爺はウトウト、、、そこに泉ちゃん登場。 

「おはようございま~す、トミーさんは?」

 

トミー爺

「ファ~ィ。。ここだよ!!」

 

「また寝てましたね、、」

 

トミー爺

「どう、詞書けた?」

 

「それが、、1番は書けるけど、2番が書けないんですよ」

 

トミー爺

「そーか、、、良くある良くある。。」

 

「えー?みんなそうなんですか?」

 

トミー爺

「そうそう、、そういう人多いよ」

「みんなテーマ、ストーリーをよく考えないで書き始めるからね、、」

 

「テーマ?、、ストーリーってなんですか?」

2番が書けない…と感じたら次のステップに進むタイミング

一番は書けて2番が書けない…そんな人、、実は多いんです。


その原因は

  • テーマを絞り込まないで作品作りをする
  • ストーリーがちゃんと考えられていない
  • 登場人物のキャラクターが熟考されていない

 

など、色々あります。

 

自分的には大ピンチの時と思っているかもしれませんが、実は大きなチャンスなのかもしれません。

 

だってそれまで2番が書けない…って悩んだことがないのに、悩めるだけのスキルが身に着いたということなんですから…


その一つの打開策として「設計図」を作ってみるのもありだと思います。

作詞の仕方には色んな方法があるのですが、トミー爺が推奨するやり方として「作詞の設計図を作って作品つくりをする」、、、

 

プラモデルを作る時って大部分の人は「設計図」を見ながら作りますよね、、つまり設計図って完成までの道順を分かりやすく図式化したものだと思います。

 

作詞にもその設計図を作ってみると意外と上手くいくのかもしれません。

 

簡単に言うと「作詞ノート」を作ってそこに頭の中にある全部のイマジネーションを書き込んでいく…そうすることで自分が書きたい内容が具体化しますね…

 

今度は具体的にどうやっていくのか?

それを書いてみましょう…

 【トミー爺のお勧め本】

読み進めていくうちに自然と作詞をしたくなる!

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また、類書にはない作詞の推敲例を取り入れ、プロとアマの言葉へのこだわりの差を実践で解説する。

 

【トミー爺の関連サイト】

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【ブログ】

旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

尾崎豊 Birthツアー 偶然が引き起こす最高のライブ、、の巻

お疲れ様です。

このブログは「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」に掲載した「ロックオン奮闘記2-尾崎豊Birthツアーで再発見出来たもの-」をさくなろ道場用にリライトした記事です。

あの時に書けなかった事、いろいろ、、、お楽しみに。

 

さてさてトミー青年の突っ張り奮闘記?読んでくれました。

まだ読んでいない人はぜひチェックしてみて…

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それは西本くんの「トミー相談があるんだけど…」から始まった

今回はものすごいツアーを経験させてもらったことを自分の記録としても書かせてもらおうと思います。

彼の訃報を聞いて四半世紀が過ぎた現在でもトミー爺の記憶には鮮明に映像が流れてくる、、そろそろ自分の気持ちと体験を書き残しておきたくなったので紹介させてもらいますね。


1990年ころだったかな…西本くんが仕事をしている都内のスタジオに行った時、西本くんから「トミー相談があるんだけど…」と、、この一言からあの伝説のツアーが始まったのかもしれない…


その内容は

「実は尾崎くんから電話が来て、全国ツアーをするんだけど手伝ってほしい…と言われた、、、どうしたら良いと思う?」

 

尾崎くんというのは尾崎豊さんの事で、その彼が全国ツアーを計画していて、そのバンドマスター(バンマス)として西本くんに手伝ってほしい…ということらしい…


ただ、西本くんはプロデューサーとして活動する為に、佐野さん(佐野元春さん)のバンドを休んでいる時だった、、このタイミングで尾崎さんからのオファーを引き受けるとなると、、ここは難しい選択、、

 

トミー 「そうか、、アキラは(西本くんの事)どうしたいの?」

西本くん「いい時期だし、やっても良いかな…と思っている」

トミー 「俺もそう思う、、だったらそうしようよ…」

 

確かこんな会話をした記憶が…

 

当時、尾崎さんは2枚組のアルバム「Birth」をリリースして、そのアルバムを引っ提げて全国ツアーを計画、、、そのツアーでのサウンド、ステージアレンジを西本くんにお願いしたい…と言う事で今回の話、大きなチャンスという事には間違いなかった…

「Birth」ツアーの準備が始まる…まずは尾崎さんと名刺交換?

早速、尾崎さんのマネージメントにトミーから連絡をして、会社のスタッフさんと打ち合わせが始る、、、そしてあの伝説のツアー「Birthツアー」が動き出した。

 

まずは顔合わせという事で都内にある尾崎さんの事務所に西本くん、トミー、ソニーのプロデューサー須藤さん、尾崎さんの会社の副社長、そして尾崎さん本人が集合。

 

なんと、ここで尾崎さんと名刺交換することに

「初めまして西本くんのマネージメントの染川です」

「尾崎です、、トミーさんっていうんですね、笑い」


あの尾崎さんと普通に名刺交換するって笑えるでしょう…この時に交換した名刺はいまも大事に保管してありますよ、、あの伝説のツアーがこの時に動き出した瞬間でした、、

 

バンドメンバーを決めないと…結構すごいメンバーが集まった

尾崎さんは今回のツアー、こんな感じにしたい…と構想を熱く語ってくれた、、そしてみんなでバンドメンバー選択の話に…

 

尾崎さんからトミーと西本くんに「Birth」のCDが手渡され、そのCDを聴いてから具体的にバンド編成の確認とメンバー選びがスタートする事に、、、

 

尾崎さんの事務所を出て帰り道、もらったCDを車の中で聴いてみた。


「えーカッコよい…!」


飽きれるでしょ、、実はトミー、尾崎さんの名前は知っているけど音楽は聴いたことが無かったんです、、それが初めて聞いた音がカッコよくて、、あとで西本くんに電話して「アキラ、尾崎くんっていいね、かっこいい!」って寝ぼけた事を言っていた、、我ながら何なんだお前は!って感じ、、笑い。

もっと間抜けなことを言うと、ある日FMから尾崎さんの「卒業」が流れてきて、このアレンジ誰だろう、、まさかアキラじゃないよな…すみません西本くんのアレンジでした。後でアキラに言ったら殴られそうになった、、笑い。

ちなみに西本くんは尾崎さんのCD3枚の殆どのアレンジをやっている人だった、、もちろん「I Love You」のアレンジもピアノも西本くん「卒業」「17歳の地図」、、すごいよね!フー知らないって恐ろしい、、今だから言えることだけどね、、、笑い。

 

そして集まったBirthツアーバンドの面々が下記

THE BIRTH TOUR BAND

尾崎豊 - ボーカル、ギター、ピアノ
・西本明 - キーボード、バンマス
・長田進 - ギター
・鈴川真樹 - ギター
・渡辺茂 - ベース
・滝本季延 - ドラムス
・里村美和 - パーカッション
・関誠一郎 - サクソフォーン、キーボード
・岩本章江 - コーラス
・山根栄子 - コーラス

 

最高のバンドメンバーが集合!さあさあリハーサル初日だ

そして3月くらいだったかな…都内某スタジオに全員集合、リハーサルがスタートした。

 

本当に尾崎さんの曲は殆ど聞いたことが無いトミー青年、ファンの人からすると羨ましがられるかも知れないけどリハーサルで生演奏を聴きながら尾崎ワールドに引きづりこまれた感じ、、、笑い。


また集まったサポートミュージシャンが凄い人たち、ドラムの滝本くんは尾崎さんの初期のアルバムから西本くんと一緒にアルバムに参加、重たくて重厚なリズムを刻む、そしてベースの茂さんはそこに「うねり」を持たせてくれるベーシスト。

またギターの二人、長田君はワイルドなギタースタイル、そして鈴川くんはソリッドなロックを演奏するギタリスト、パーカッションの里村くんは演奏はもちろんだけど動きがアクティブなステージング、コーラスの二人もダイナミックな日本人離れしたステージング、サックスの関くんは理知的な印象がするミュージシャン。

このメンバーが出す音ってどんな感じなんだろう、、興味爆発って感じ、、笑い。

今でも覚えている、リハ初日の出来事、トミー衝撃受ける、、の巻。

舞台監督が「尾崎さんどの曲から行きますか?」という問いに

尾崎さんは「セブンティーンマップにしましょう」と言った、


トミーは「セブンティーンマップ???」なんせ聞いたことが無いんだからしょうがない…

 

そして始まったとたん、唖然とした、、そこには本番と同じパフォーマンスする尾崎さんがいて、めっちゃカッコよかった!


普通、まずは音合わせをして、そして通しリハ、、ゲネプロ、、と次第にテンションを上げていくのが通常のツアーリハだけど、尾崎さんは違った、、最初からテンションマックス!明日ツアーが始まってもOK。。

 

そんな感じでしたよ、、

 

この調子で「卒業」「シェリー」「I Love You」「太陽の破片」などあの名曲たちをリハーサルで練って行く、、バンドメンバーも次第に個人個人の個性が出てきて音が完成していく、、こんな経験をさせてもらってトミー、本当に100年分の経験をもらった感じですよ、、

 

そして尾崎ナンバーを次第に好きになっていった、、

 

ツアー初日横浜アリーナ、一曲目「Fire」を聴いたとたんにぶっ飛んだ

そして初日の横浜アリーナ公演がスタート。

会場が暗転になり、SEがなり始める、、会場からはなんとも言えないお客さんのうめき声のようなものが聞こえてくる、、そしてFireのイントロシーケンスが始まり、尾崎さんが登場「Fire」タイトルコールで演奏が始まった。本当に鳥肌もの、全身の血が湧き上がる感じの衝撃を受けた。

www.youtube.com

これは最終公演の代々木体育館の映像(kotikamedesuさんのYoutube映像をから)

日本のバンドでここまでエンターテインメントしているバンドって過去にも未来にも唯一のバンドだと勝手に思っている、、本当にすごい!

6万個の目線を一身に受けて跳ね返せるこのパワーって

実はこのライブってハプニング続きですごかったんですよ、それも尾崎さん本人が巻き起こすハプニングだから面白い。

 

我々スタッフは全体の流れを把握しているので、この曲の後はこれで…ああなって、、と分かっていながらライブを見ているのだけど、突然


「あッ!マイク投げた、、昇った、、」

「フリーズムーン」だったかな???尾崎さん一番を歌い終わったらマイクを舞台袖に向かって投げたんです。

 

それを見ていたローディが辛うじてマイクをキャッチ、そしたら尾崎さんがタワーを昇り始め、そのマイクを持って舞台監督が二人、尾崎さんを追いかけて昇っていく、多分それを見ていた尾崎さんは当然マイクをもって来ていると信じているから、ちょっと昇るスピードを緩め、そして頂上に着いたらマイクを持った舞台監督が本人にマイクを渡す、、瞬時に色んな動きを計算しているんでしょうね、、まぢ天才です。

その間バンドは様子を見ながら間奏部分を繰り返し演奏続けていて、それを見た尾崎さんはタワーの上で演奏の音量を下げるように手で指示、バンドは遠隔操作されるように音量を下げる、、そしてストップするように合図、そうしたらバンドは演奏をストップ。

 

そして語り始める、、それに合わせて西本くんが即興でピアノで答える。

バンドメンバーはタワー上の尾崎さんの一挙一動を真剣に見つけているのが分かる…

 

そして手で来い!って合図するとまた演奏をスタートする。こんなやばいコンサートは生まれて初めて体感させてもらった。

 

それと「Birth」という曲だったかな、地方公演でいきなり尾崎さんがギター弾き語りで演奏始めた、、

実はこの曲は最初ドラムのカウントでバンド演奏で始まる曲、でも本人が歌いだしたのでバンドメンバーはそれに合わせるしかない…めいめいが途中から合流始める、、これもすごいでしょ、、

もっとすごいのは尾崎さんはきっとこのバンドだったら着いてきてくれる…と見越していたんだと思う、一番を歌い終わって、ちょっとだけ間を作り、そして「3!4!」のカウントを突然叫ぶ、そしたらバンドがイントロから演奏始めた、、

これって打ち合わせなしでいきなり、、鳥肌物ですよね、、この曲は後にカラオケにギターイントロバージョンとして入っていると聞いたとき大笑いしたことを覚えている。

 

あと太陽の破片という曲の最後でボーカルだけになる所があり、そして囁くように歌うところがあって、そこは尾崎さん一人に6万個の目が尾崎さん一人の息使いに注がれる、そんな重圧を一人で背負え押し返すパワーってすごいですよね。

 

本当に底知れぬエネルギーをもらえたツアーだった。

そしてトミー青年のその後の音楽人生にも大きな影響を与えてくれたツアーだった。

 

それから尾崎さんとは最後のアルバム制作でも西本くんが半分担当になったのでお付き合いさせてもらった…

 

物凄いパフォーマーですよ尾崎さんは。

 

 

 

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

負け続け人生、、無駄な経験などない!負け続け20代ありがとう!

お疲れ様です。

この記事「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」に書いた「社長の片腕、トミーのロックオン奮闘記、その1」をさくなろ道場用にリライトしました。あの時に書けなかったあんなことも…ぜひチェックお願いします。

 

さてさてトミーのジェットコースター人生、ロックオンに入社したはいいけど全くの素人がどうやって信頼を勝ち取っていったか?

 

そんな話です。

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この記事の内容は

突っ張ることがトミーの、、♪たった一つの勲章♪

とにかく経験が少ない素人がいきなりトップクラスの人と仕事をするには、どうしたら良いのか?

 

「見栄張って突っ張るしかないっしょ、、」笑い


まずは身内からの信頼を勝ち取らないとまずかったので、最初にしたことはスタジオの電話番号を全部覚えました…

当時は携帯電話なんて世の中に存在していなかった時代で、電話は会社の電話か?又は公衆電話でかけるしかなかったし、とにかくスタジオに電話することが多かった。

自分で早引きできる電話帳を作っておいて、OTさん(社長)が「音響1stって、、」言ったとたんに「〇〇ー〇〇〇〇…」みたいに教える、今は発信履歴をチェックすると一発なのにね、、

 

そして当時毎日車移動だったのでスタジオへの道順、都内の道路は頭の中に叩き込んだ。それを続けていくことで段々「トミーやるな…」と思われるようになっていった、、はずmm、、多分、、笑い。

こうやって地味だけど必死に自己アピールを続けて行くことに、、まずは存在感を演出しないとね、、生き残っていけない…笑い

 

小心者だけどスタジオでは主のような雰囲気をかもし出す

トミーは実は極度の小心者、ビビり。

そんな奴がトップミュージシャンがいるスタジオで仕事をする為には突っ張るしかないでしょう…

ただ、肝っ玉とは反対にトミーが醸し出す雰囲気はどうやら貫禄があるように見えるらしい…だから実際はビビりながらもどっしりと構えていられた…笑い。

それも強みの一つかな?

 

よくあるでしょ、、借りてきた猫って感じの時、、それを持ち前の派手な顔と少し貫禄ついてきた体系でカバーしたって感じでしょうか?

負け続けていた20代の知識が今になって役立つ時が来た…

本当に神様は未来の為に色々と経験を積ませてくれていたんだな…以前も書いた通り、本当に20代は何をやっても上手くいかず、中途半端だったトミー爺だけど、ここで逆反り大逆転、、ついに来ました!!

それはヤマハ時代に覚えたスタジオの知識、舞台の知識がここで役に立ったんです。

当時スタジオってリズムがRECできる大きさ、ダビング用のスタジオ、フルオケが録れるスタジオ、、と色んな大きさがあったり、もっとめんどくさいのがマルチテープレコーダー(略してテレコ)。

当時ソニーの3324と言われるデジタルの24トラックあるテレコが主流だったけど、もう一つ三菱の32chのテレコも使われていた。

だからレコーディングするときはソニーか三菱のテレコを選ぶ必要があり、ソニーでリズムRECしたプロジェクトは三菱のテレコでは仕事ができない…そこを把握して調整する必要があったんです。あとレコーディングの流れもヤマハ時代に経験しているので全く物おじせずに中心になって動く事が出来た、役に立つもんですね、、

またある時、確か氷室さんのツアーの時だったかな?当時西平くんがツアーに参加するという事で、ここでも若いころの舞台の知識が役に立つ…ある日、氷室さんのマネージャーさんと舞台監督、PAさんが来て「トミーさん、今度のライブの舞台図ですが、この位置に西平さんの楽器って乗り切りますか?」と図面を見せてくれた、普通だったら訳わからないのが当たり前だけど、新人マネージャーのトミーは図面をみて、、

 

「あー尺上がりなんだ、サイズは6、9ね、、、大丈夫ですよ、ただ動いても大丈夫なように天板と足場の補強よろしく」、、当時西平くんはキーボードを弾きながら派手に動いていたので…

またPAさんとの打ち合わせでも

「トミーさん西平さん回りで何回線必要ですか?」

「キーボードミックス使っているのでラインアウト、LRからツーミックスで送りますからそこからとってください」

 

みたいに答えられた、、周りは「何こいつ、、なんでこんなに詳しいの?」と思ったと思う、本当に無駄な経験って無いんだな…とこの時につくづく思いましたよ。

 

同時に5~6個の案件が同時進行、脳みそのコイルが焼き切れそう

先ほど書いた通り西平くん、西本くん、Tsukasaくん、プラス作曲の水島くんや作詞の佐藤ありすさん(chu chu trainの作詞担当の作詞家)さんが加わって大変だった。

西平くんや西本くん、二人とも同時に2~3プロジェクト同時進行しているし、作曲家二人、作詞家一人でしょ、、それがフル稼働しているんだから脳みそがシュート、、でなく「ショートしそう」になる日々だった、笑い。

 

それに当時はリゾートスタジオ、河口湖や山中湖にあるスタジオで長期で泊りがけでレコーディングが流行っていて、、泊まり込みで集中してレコーディングできるからプロジェクトの追い上げ時期に結構利用していた、、だからトミー爺もそんなところにも顔出さないといけない。

今だったらオンラインで、、携帯で、、みたいに処理できるのに、あの当時は人が動かないとダメな時代、、リゾートスタジオに行く時は、昼から都内のスタジオに行ったりして調整事を片付けて、夕方にリゾートスタジオに向かう…そうすると夕食時にスタジオに入る事ができ、そこで打ち合わせや調整事をして夜にまた都内に戻ってくる…そんな生活が当たり前に繰り返されて行った。

自分の言葉で表現する事で居場所を確保できる事に気がつく

それとスタジオでミュージシャンたちの演奏を聴いている時も頭の中はフル回転。

というのも演奏終了したミュージシャンたちはプレイバックで演奏の確認の為にスタジオに戻ってくる…その時に思いっきり試されるんです。

「トミー、今の演奏どうだった?」ってね…


だから演奏を聴きながら自分の言葉で答えられるように常に触覚を研ぎ澄ませないと、「なんだこいつはダメじゃん、こいつに聞いても無駄だな、、」なんてレッテル貼られてしまうのでここも突っ張った。

「なんか身体が熱くなる演奏だったね、、俺は好きだけど…」


みたいに自分の言葉で返すと、そこはトミーの考え方なので間違いはない、その後の人生いつも自分の言葉、表現をできるように訓練できたのもこの経験があってだと思う。


なにせ相手は超一流の音楽家だから素人トミーが勝てるわけない…だけど真向勝負を挑むのではなく自分の言葉で自分の感想を言ったらそれは間違いではない…そしてミュージシャンからは「こいつ面白い事いうな…」と思われて、それ以降も意見を求められることも増えた気がする。

やっぱ自分だけの言葉って力があるんですね

崖っぷちに立った時と相手の立場に立ってみると見えるものがある

そしてもう一つ経験できたのは「崖っぷちに立たされた時の考え方」

色々メンバーやプロジェクトの調整をしていると、どうしても思い通りには行かない時も頻繁にめぐってくる…

「明日レコーディングするスタジオがまだ抑えられていない…」

「クライアントとミュージシャンの間に入って揉め事のど真ん中に…」

「仕事上の人間的なトラブルに巻き込まれる」

 

こんな感じの色んな事が同時進行で襲ってくる、そこをどうやって乗り切るのか、周りみんなの利益を守ってあげると案外うまく行くもんです。

 

例えば、簡単な例を言うと、メンバーのスケジュールがガチガチに入っている時に新規や常連さんから問い合わせが来たりする。

「トミーさん、〇〇で5曲アレンジお願いできませんか?」

スケジュールをチェックしても5曲なんて全く無理な状況、何せ全国ツアーなんかを抱えていると一年先までスケジュールが入っている状況、、、

 

こんな時、普通は「スケジュール入っていて難しい…」と断る事が定石。

でも無下には断らなかった。

 

「スケジュールがガチガチなんです、、でも調整してみるので時間もらえますか?」

その後メンバー、関係者にはかなり無理なお願いするけど、前後のスケジュールを少しづつずらしてみる、、もちろん各方面に事情を説明、でも各方面にはデメリットが無いように調整するのはもちろんの事だけど、、当然、今まで組んでいたスタジオやミュージシャン等のスケジュールを動かす事になるので、そこはトミーの方で全部出来るように調整してからお願いすることも忘れなかった。これは当たり前ですよね…

 

そして、問い合わせくれた人に連絡する。

 

「調整してみました、5曲は無理でも1曲だったら可能かもしれません」

こう言うと相手の立場も立つ、、というのも恐らく相手の会社ではこんな状況になっていると予想できるから、、

 

上司 「〇〇さんのスケジュール5曲編曲できるか確認してくれ」

担当 「スケジュールいっぱいで無理みたいです」

上司 「なんだ、アレンジャーのスケジュールも取れないのか?交渉したのか?」

担当 「、、、」

 

でも実際は

 

上司 「〇〇さんのスケジュール5曲編曲できるか確認してくれ」

担当 「スケジュールいっぱいで無理だったのですが、無理やりお願いして一曲だけOK、スケジュールもらいました」

上司 「おーそうか、、取れたか、、じゃシングルの表題お願いするか、、」

   「お前やるじゃないか!お疲れ!!」

担当 「ハイ!」

 

ここで相手の状況をちょっとだけ考えてあげるとその先の仕事につながっていく。たぶんこの考え方には色んな意見があると思うけど会社組織の人間というよりフリーランス人間の考え方かもネ、笑い。

 

まだまだ続きます、、次はアーティストさんから沢山パワーをもらった話などを…

こうご期待…

 

今日のお薦めの一曲

今回見出しでも使わせもらった「男の勲章」行ってみますか!やっぱりこのメンバーに登場してもらわないとね!

www.youtube.com

 

若きトミー、名刺の肩書「子分」から「社長の片腕」に出世する、、の巻き

さて若きトミーのドタバタ人生の続き、この記事は「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」に連載されたのを「さくなろ道場」用にリライトした記事です、あの時に紹介できなかったあんな事も…。


人生なかなか上手くいかなく、もがいていたトミー青年にあるディレクターから神のような一言が…「トミー、OTくん知っているよね、彼が新しく作家事務所を作るので手伝ってあげてくれない?」そしてトミー青年、何も考えずに「いいですよ」と答えてしまった。

これがその後の人生に大きく舵を切った瞬間、怒涛の人生のスタートでした。

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トミー青年、株式会社ロックオンカンパニーのスタッフになる

この会社、通称ロックオン、、(ただし、楽器屋さんとは違う作家事務所)に入ったは良いが、そこに所属している人が凄い人たちってことは、その当時全く理解できていなかったトミー青年、、恥ずかしながら…笑い。

【会社の概要】

1988年
創業 レコーディング制作、プロデューサーマネジメントを始める。
同時にロサンジェルスにロックオンアメリカ設立。積極的に海外録音を行う。数多くのメジャーアーティストのレコーディングに参加。

メンバー:大村雅朗清水信之中村哲西平彰、西本明、飯泉俊之
Tsukasa、後で、松本晃彦山川恵津子佐藤隆、水島康宏、加入。

1994年
プロダクション業務開始
森俊之 加入 樋口了一 作家加入

1996年
河野圭加入。
1998森俊之とともに宇多田ヒカルのレコーディングに参加

        ー(株)ロックオンカンパニーのサイトより抜粋ー

立ち上げメンバーの凄さが分かったのは会社が出来て少しして、キックオフパーティーをすることに、焼き鳥屋さんの個室を借りて「ガンバロー」ってやったんですが、そこにUSENが流れていて、そこで流れる曲の八割が今ここにいるメンバーの作品だった、、これってすごくないですか?

 

そんな中に駆け出しスタッフとして参加できたわけです。

とはいえその中で一番経験が無かったのもトミー青年だったのは確実、笑い。

ちなみに1996年に加入した河野圭くんはそこから数年後に宇多田ヒカルさんの「Automatic」で大ブレークする、、


彼以外にも当時の音楽シーンの中心で活躍するメンバーばっかりですよ。

スタジオ廻りで最初に紹介されたギタリストがあの、、、

右も左もわからないトミー青年、とりあえず社長のOTさんとスタジオ廻りをすることに…そこで色んな人に紹介されたり、色んな会話をするのだけど、最初に紹介されたミュージシャンがギタリストの今剛(こん つよし)さん。あのスタジオミュージシャンのトップクラスの人、レコードのクレジットで何度も見ている人が目の前に…

「コンちゃん、彼、今度一緒にやるトミー、彼は優秀だよ」

「トミー、よろしくね!コンです」


こんな自然な会話ビビりまくったトミー青年、、確か音響ハウスの1stロビーだった記憶が…

その後もクレジットでしか見たことが無いミュージシャンたちと一緒に仕事をすることに、そして後日そんな超一流メンバーの演奏に良いとか好きとか言っている自分がいるって、この時はまだ想像すらできない…

ロックオンはマンションの一室、何も無い一室からスタート

最初に事務所を借りたところが六本木のマンションの一室、まだ机も運び込まれていない状況で、一緒に働くことになったM子ちゃん、彼女はそれまでバリバリのスタジオマネージャーだった、、

何もない床にファックスが入っていた段ボールを机変わりに、電話は床に直置き状態での仕事スタート。

床に座ってそこで手帳を広げて電話を取る「ハイ、ロックオンです」、、これが一番最初、ロックオンカンパニーのスタートでした。

それでどんな仕事をしていたかというと、担当プロデューサーのスケジュール管理とそれに関連する打ち合わせ、その時期に有名アイドルグループのメンバーのソロ活動のレコーディングを請け負っていたのでそのプロダクトマネージメントが主な仕事。

 

それを3人で切り盛りする事になった。

 

ロックオンに参加しているプロデューサー達ってみんな第一戦で活躍している人たちばかりなので、毎日スタジオワークをしていて、それに関する日程調整やミュージシャン、エンジニア、スタジオブッキングなどを取り仕切る仕事がメイン。

 

そしてスタジオワークって日々状況が変化するので、必ず夜、スタジオに顔出してメンバーと問題ないか?を打ち合わせし、その場で解決できる事は夜中でも動く、あとクライアントと全体流れの確認などする、、当時「ロックオンのスタジオ巡業」と言われていたらしい、、笑い。

当時のレコーディングは13時スタートで大体が深夜25時、26時ころまでやっていたので当然トミー達の帰宅は深夜深い時間が当たり前になっていったんです。

 

若かったからできたのかもしれないですね…

 

トミー、肩書好きにしていいよ、じゃ「社長の片腕 トミー染川」で

そうそう、その時の名刺なんだけど社長のOTさんに「トミー、肩書だけど好きにつけて良いよ」と言われて、それまでの名刺が嵐さんの所で「子分」だったので、そこは目立つ事を優先して、、つけたのは

社長の片腕 トミー染川


これは大うけだった、大会社の社長さんからは「トミー、どっちの腕?」なんて名前と顔を覚えてもらうことが早かった。

 

電話でも「社長の片腕、いる?」なんてかかってきたこともあった、、笑い。

 

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新米トミーは西平くん、西本くん、作曲のTsukasaくんの担当に

最初に担当したのは「西平彰くん」「西本明くん」「Tsukasaくん」をメインで、それ以外のメンバーも必要な時にサポートしていくことに…

 

西平くんは、当時売れっ子のプロデューサーでトミーがロックオンに所属した当時名前を知っていたのは彼だけだった、確か当時は平松愛理さん、鈴木祥子さんなどを担当、その後は氷室京介さんのライブ、レコーディングで大活躍の人

 

西本くんはピアニストとして佐野元春ハートランドのメンバーだったけどプロデューサーとして活動する為にバンドをお休み、プロデューサーとしてこれから活動していくスタートの時期。

 

Tsukasaくんは以前から一緒にやっていた流れでロックオンにも加入、のちに鈴里真帆さんのプロデュースで活躍。後日ロックオンを離れてから、ジャニーズの嵐「時代」の作詞作曲、編曲で大ブレークをした。

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プリプロダクションをレコーディングに取り入れたのも革命だった

それと今、当たり前に使われている「プリプロダクション」(通称、プリプロ)を最初にレコーディングに導入したのもロックオンが最初だったと思う。

 

当時のレコーディングってスタジオにミュージシャンを集めてベーシックレコーディングをして、その後にギターなどをダビングしていく…というのが主流。


今と違って当時のスタジオ代は最低でも一日40万から50万くらいの費用が掛かっていた。あの時代、今のようにPCでレコーディングはできなかったので、すべてスタジオを使った作業をしなければいけなかった。


トミーが所属していたロックオンってアメリカにもロックオンアメリカという提携会社があった。現在ネーチャーサウンドリエーターとして活躍しているジョー奥田くんが社長として日本とアメリカのレコーディングを橋渡しする仕事をしていた。

当時、海外レコーディングが盛んでロックオン自体も海外レコーディングを積極的に推進していて、その流れで日本にアメリカRECスタイルを導入するアイデアが生まれてきたんですよ…

そこにはある理由があるのですが、、、

 

プリプロでメンバーに仕事しやすい環境を作れ

当時の所属メンバーは時間をかけてスタジオワークをしていて、イコール予算との板挟みでトミー達、マネージャーが必死にクライアントと折衝していて、何とかそれを打開できないか…と日々奮闘していました。

編曲家の作品クオリティをキープする為には時間と予算がかかる、、でも予算が足りない…そこで考えたのがプリプロダクションの導入。

「トミーさん、今回予算があまりなく何とか協力してもらえませんか?」

つまりギャラを安くしてください。という事なのでそれはできないのでこういう提案を

「じゃ、本RECの前にプリプロをさせてください。スタジオ代も安くできるし…」

こんな会話をしながら担当プロデューサーの仕事と環境を守る事に必死…

 

当時のアメリカではプロデューサーやアーティストが自分スタジオでレコーディングをして必要な時に外部スタジオを使うスタイルが定着して、又は数か月間スタジオをロックアウトで貸切って「まとめて長期で使うから安くして…」こんな方法で予算を圧縮していた、、その中でプリプロという作業が効果的という事でそれを日本でも導入するように働きかけた時期でした。

 

プリプロはシンセのマニュピレーターとプロデューサーが小さいスタジオで作業をして曲のアウトラインを作りこむ、そしてそれをスタジオに持って行ってレコーディングをしていく…この方法だと一日4~50万かかっていたスタジオ代金が一日10万くらいに圧縮できる…


同じ予算の中で1日しか使えなかったスタジオが2~3日使えるようになる、、

良い方法だと思いませんか?

 

当時、プリプロ?なにそれ?って感じだったけど、徐々に浸透していったのも記憶があります、、下で紹介する伊豆田くんのアルバムも全曲日本でプリプロをして、ガイドラインを作ってからLAでレコーディングしたんです。

 

今だったらHDでデーターを持っていく…という感じだけど、当時はそんな物無かったので、、どうしたか…それはアナログのマルチに全曲録り込んで、それをトミーと西本くん、そして伊豆田くんの3名が飛行機に持ち込みLAまで飛びましたよ、、めちゃくちゃ重かった

 

まだまだ続きます、、

 

今日のお薦めの一曲

当時、西本くんとジョーと一緒に作り上げた伊豆田洋之くんのアルバム「クラブトランプス」の中の一曲「アルゴ」すごく良い曲、いい風が吹いてくる感じ…

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旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

横浜銀蠅「嵐」さんの一言で「トミー染川」誕生する、、の巻き

「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」で連載?させて貰っている若きトミーのドタバタ人生、リライト、さくなろ道場バージョンです。

人生なかなか上手くいかないですね、、特に作詞家、作曲家を目指しているみんなは出口が見えない迷路にはまっている感じでシンドイ人も多いのでは?

でもこんな負け続け親父がいた、、そして何とか今でも頑張っているので何とかなりますよ、、諦めないで続けていさえすれば…今回のブログで紹介するある人の歌にもあります。「答えが出ないから人生だと…」いい歌ですよ。

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とにかくガムシャラに突っ走るもダメダメ人生は続く

和田加奈子さんの「夏のミラージュ」でTくんの作曲家デビューはヤマハを退職して2年くらい後の話…それまでは、とにかくガムシャラに働きました。

ヤマハ時代にやっていたPAの仕事、音響スタッフをやりながら作曲家Tくんのプロモーションに明け暮れる毎日が続き、幸いにも仕事の声をかけてくれる仲間もいて助かったんだけど、確かそのころも目標として月30万稼ぐ…これを目標にしていた記憶がありますよ。

確かあの時代フリーのPAとか舞台監督のチーフクラスのギャラが本番一本5万くらいだったかな…でもトミー青年、下っ端クラスなので本番1~2万くらい。

下っ端クラスのトミー、通年通して仕事があるわけではないのでアルバイトを掛け持ちして日々食いつないでいたって感じでした。
 

そうそうそんな時にあの人に相談したんです。 

 

染さんお前顔も濃いから名前も濃くしなよ…トミー染川の誕生

ここで登場するのが横浜銀蝿の嵐さん、そのころの銀蝿って飛ぶ鳥落していて、日吉をやめてからは年に2回くらい事務所に遊びに行く感じの付き合いでした。


横浜銀蠅との馴れ初めは

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まったくの素人マネージャーがレコード会社に電話しても話なんか聞いてもらえない…相手にされない日々が続きました。

確かデモを郵送する時に封筒にデカく「ヒットする曲在中」って書いて送ったこともある、笑い。

 

そのくらい目立つために何でもやった、、、
 

しかしそれも限界があり、そこで嵐さんに相談したら「だったら染さん、俺の所で働いて人脈増やしてみれば…」と言ってくれて、嵐さんの事務所のスタッフとしても働くようになったんです。


そのころ何でもやっていたから二股でなく六股くらいの仕事量だったかな?

ある日嵐さんと打ち合わせをしていて

「俺の所のスタッフでパンチってやつがいて…」みたいな話になり、どうやらそのパンチさんは派手な名前にしたら仕事が広がったらしい…
 

「染さんも顔濃いから、名前も濃くしなよ…」

下の名前聞かれて「トミカズ」って答えたら「ソメカワトミカズ」どっちが苗字か名前かわからない…みたいな話で一緒に名前を考えてくれたんです。

 

そこで誕生したのが「トミー染川」。
もう一つの候補が「サムソン染川」、、でもボツに…笑い

そして名刺を作る話になり、肩書が必要だな…という事で、嵐さん曰く「俺が社長、トミーがそのアシスタントだろ、、俺が親分で、トミーは・・・・・」

 

そしてできた名刺が
 

子分 トミー染川


ということになった、案の定、名刺交換ではその肩書、名前で盛り上がる…そしてびっくりしたのが今まで相手にされなかった業界の人たちも
 

嵐さんの事務所の子分、トミー染川です。
 

って言ったら「どうもどうも…」みたいに今までの仕打ちは何だったんだ…って感じで接することが出来るようになったんですよ。

 

事務所の肩書ってすごいですね 。

この時は肩書きがある事でメリット感じたけど、それから10数年後に逆の経験もする、、それは後で紹介しますね、、

 

トミーの年収120万、税務署スタッフから「どうやって暮らしているの?」

嵐さんの事務所では人生初の「有線放送所」回りをやった、事務所所属のバンド「ストリートダンサー」というちょっとビートルズっぽいテイストのバンドがいて、その新曲を有線放送所に行ってレコードをかけてくれるように営業する仕事をしたな…

 

関東近郊にある放送所は全部回った…放送所には有線嬢がいて営業に行くとその場でかけてくれる、、そのうちの何回かは、リスナーさんから「今の曲は誰のですか?」なんて問い合わせが来たりする、、、うれしかったね!


嵐さんの所で半年くらい丁稚奉公をしながら作曲家Tくんの営業も並行していった、二人の頑張りもあって和田加奈子さんのCDで少しづつ採用され始め結構成果が出てきた時期に、、ある出来事があり嵐さんの所を退所することに。

当時、トミーも結婚して家庭を持つようになり、余計にお父さん頑張らなくては…と言う事で音楽の仕事、アルバイトなど複数こなしながら頑張っていたけど、最初は本当に収入無くて、確か年収120万くらいだったかな、、夢ばっかり追っていたからね…

税金の申告(確定申告)で税務署のスタッフからこんな質問が

「トミーさんはどうやって暮らしているんですか?」
「ハイ、女房に食わせてもらっています。」
「頑張ってくださいね」 

 
今考えるとよくあんな時期に結婚したよな…笑い、、、と思ってしまいますよ。

そんな時期に母親の具合が悪くなり、イコール今以上に頑張って働かなくてはいけなくなったんですよ。

嵐さんに相談したら「わかった、御袋さん大事にしろよ」って背中を押してくれたのが凄くうれしかったのを思い出します。

横浜銀蠅40thファイナルコンサート行ってきました

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その後母親は無事に回復し元気になった、、しかし、トミー青年は相変わらず超低空飛行の毎日、、トホホ、、、

 

そうそう、丁度この頃だったかな?カミさんとファミレスで食事してたら日吉時代のバンド仲間が入ってきた。

 

向かうもこっちに気がついてくれて「久しぶり、今どうしてる?」って聞いたら

「尾崎やってる」という答えで、てっきり尾崎紀世彦さんのことだと思ったけど勘違いで尾崎豊さんのことだった、笑い。

 

後で知ったのだけど彼達が尾崎さんのバンド「ハートオブクラクション」だった。

 

トミー爺もその後に尾崎さんの最後のツアーとアルバムで仕事させてもらうことになるなんて、この時は夢にも思って無かった、、その話はどこかで紹介しなくちゃね

 

トミー、〇〇くんが事務所を作ったんだけど手伝ってあげて

そんな中、世の中上手くできていますよね、、仕事仲間のディレクターからあるお誘いが…


「トミーさん、OTくんが独立して作家事務所を作ったんだけど手伝ってあげて」

その時、お金になるんだったら何でもやってやろう!という姿勢のトミー青年、何も考えずに「いいですよ!」と即答。

家に帰ってからカミさんに事務所に誘われた…って話したら

「よかったね、ところで給料なの?いくらもらえるの?」

そういえば、そんな話は一切なく、固定給もらえるんだったら今よりも良いか?

くらいにしか思っていなかったな、、、のんびりした性格ですね。

今まで負け続けていたトミー青年がここから巻き返しに転じる、、続きはこの次に、、

 

今日のお薦めの一曲

実はトミー爺の音楽観が一変した曲がこれ!「宇宙のファンタジー」このバンドのライブを武道館に見に行って「ショー、エンターテインメント」としての音楽の重要性に気がつかせてくれた曲です。


www.youtube.com

 

お薦めの一枚

作曲家だったら必聴のアルバム。今から40年前の音楽、今聞いても全然古くない。このグループのリズムグルーブが凄い!どうやったらこんなグルーブが出せるのか?研究してみてください。 

アナログ盤もぜひ聞いてみるとCDと全く違っている音の世界を堪能できるかも 

 

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作曲Q&A 多種多様な人がデモ聞くって?

お疲れ様です

お元気ですか?

 

さて「作曲Q&A」今回は「作曲デモは色んな人が聞いて評価される」ということについて考えてみましょう。そしてお馴染みの作曲家志望の坂本一番ことチャンプ坂本くんに登場してもらい、トミー爺に強烈な質問を浴びせてもらいます。

 

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トミーさん、デモが色んな人に聞かれ評価されるってどういう事?

チャンプ 「前回のブログで話てくれたイントロの件、なるほどそうなんですね、」「イントロって大事なんですね、、納得しました、、なるへそ、、、」「ところでいくつか質問あるのですが、覚悟は良いですか?」

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覚悟ときましたか、、、さて質問ってどんな事でしょう、、、?

チャンプ 「作曲家のデモが沢山の人に聞かれて…と言う所まで分かります」「でもクオリティの良いデモを作らないってどう結びつくんですか?」

 

チャンプくん作品アニメ主題歌に決定、でもそこに無理難題が…

そうそう、チャンプくんの言っているのも分かりますよね、、ではTVアニメの制作現場を例にとって説明してみましょう。

例えば、チャンプくんの作品がテレビアニメの主題歌決まったとします、あくまでも仮定です、、喜んでいるのもつかの間、担当プロデューサーからメールが入りました。

いつもお世話になっております。

○×テレビの×○です。この度、坂本さんの作品が春から放送のアニメの主題歌に決定しました。つきましてはアレンジされたフルサイズのカラオケを大至急制作し当方に送ってください。

 

サイズですがイントロから1サビ終わりまでのタイムを90秒以下のフルサイズの構成でお願いします。そしてデモのキーですがトップをB♭に調整お願いします。

よろしくお願いします。

やったね!チャンプくん、アニメの主題歌おめでとう!!

なんて言っている場合じゃないね、、大変な注文じゃないですか?


「えーこれ、僕が作るの?」とチャンプくん、思わず空を見上げてしまいました。

でもこれって

 

音楽ビジネスのスピード化が作曲家デモのクオリティを押し上げる

なんでこんな事になったのでしょうか?

その原因の一つに制作スピードが速くなったことが要因として挙げられます。

 

以前は、主題歌に決まったらアレンジャーに発注、作詞家に発注、デモを作ってアニメの制作会議に備える…みたいな流れだったのですが、今はそれが短縮されてきています。

アニメのオープニング映像制作を例にして説明しましょう。

 

アニメのオープニングで流れる映像って音源ありき…なんです。

つまりレコーディング終了、完パケの音源に絵を合わせていく必要があります。そうするとできるだけ早く完パケ音源が必要になります。秒、フレーム単位で合わせていくから実際の音源が必要。

 

だからアレンジ発注、レコーディングしている時間が無い…ということで白刃の矢が作曲家に向けられます。そして仮歌も実際に歌う歌手、又はそれに近い仮歌さんで歌録音、もっと言うと詞も大至急必要になります。そして完パケ、ミキシングされた状態の音源での作業がベストになります。

 

その為に作曲家にフルサイズのカラオケだったり、アレンジの要求がされるんですよ。
もっと言うと詞も作曲家が書いたり、デモに入っていた作詞家が書いた詞がそのまま採用になったりします。

それともう一つ、歌手側にも理由があって早く音源が出来上がればそれだけプロモーションがしやすくなったり、プロモーションビデオの制作もできるようになりますよね。

 

とにかく作曲家にはスピード&クオリティが要求される時代なんですよ。

 

ただ、これを逆に負担と考えるか?チャンスと考えるか?それは作曲家側の考え一つですね、、だって上手くいけば作曲だけでなく編曲家として活動もできるし、編曲料としてギャランティも貰えるようになります。

 

さあ!さあ!さあ~! なただったらどうします。

 

そしてプロデューサーの依頼メールにあったワンコーラスの長さとキーについては後日、詳しく

 

お薦めの一枚

以前一緒に組んでいた作曲家Tsukasaくんが書いた嵐の「時代」。この曲は彼が作詞、作曲、編曲まで1人で頑張った楽曲、以前NHK紅白歌合戦にも登場した、、凄い

 

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