作詞家,作曲家になろう!さくなろ道場

作曲家、作詞家を目指す君へ。現役マネージャーが教える作品創りのコツ、裏ワザ、一般常識などなど…誰も教えてくれなかった情報満載です。

作詞Q&A ケアレスミスを無くせ!文字数のチェックはOKか?

お疲れ様です。

トミー爺です。


今回の作詞Q&Aは作品提出前に行う、たった5分の作業でケアレスミスを解消できるって事を紹介させてもらいましょう。


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ーハワイダグラスイノウエ空港から見た青空ー

提出前には必ず作品チェックする習慣をつけよう

またまた作詞家志望のしわき泉嬢がトミー爺の事務所にやってきました。

泉  

「おはようございます、、あれっ、、トミーさん今日は起きてる」

トミー

「おはよう、泉ちゃんか、、今日はどうしたの?」

泉  

「この前、書いてこいって言っていた作品持ってきました。読んでみて下さい」

トミー

「どれどれ、、、泉ちゃん、提出前のチェックって、、した?」

泉  

「なんですか?その提出前のチェックって?」

トミー

「泉ちゃん、作品チェック、知らなかったの?大事だよ、、!必ずするようにしようよ、、」

どうやら泉ちゃんは作品を提出する前のチェック、知らなかったようですね

 

sakunaro-dojo.sakushisakkyoku.com

 

作品前のチェックで作品クオリティを上げろ

実は作品提出前のチェックってものすごく大事です。

特に詞先の時は同じ個所の文字数やフレーズ、音節の合わせなど、細かいチェックが必要です。

書いた直後って気持ちも高ぶっていて細かいミスを見つけることが出来ないので、できれば数時間空けてから、例えば、朝起きてから…作品チェックをすると意外と細かいミスを発見できます。

 

特に詞先の場合、採用されたらその詞にメロディがつくので1番、2番の同箇所がそろっているのか?

 

このチェックを忘れないように

 

sakunaro-dojo.sakushisakkyoku.com

 

曲先の場合は言葉のメロ乗り、メロとの相性の確認も忘れずに

曲先の場合はメロディと言葉のニュアンス、温度感があっているのか?

歌いやすいのか?何度も大きな声で歌ってみるのが良いです。

 

その場合、メロディを自己流で変えないように、メロ譜があればそれに沿って歌ってみる事も大事。

 

メロに詞を合わせて行くと「歌いやすい詞」と「歌いづらい詞」があり、後者は内容が良くても選考から弾かれる事が多い事も覚えておきましょう。

泉  

「そうなんですね…泉一度もそんな事考えた事が無かったです」

トミー

「どんなに内容が良くても歌うづらい詞はダメだからね…これからは意識しよう!」

泉  

「なるほど、、泉の詞って内容を重視しすぎていたかも…音数が合っていればそれでOKって事では無いんですね…」

トミー

「歌だからね、、歌いやすくて、歌詞が伝わってくる詞に仕上げないと、、、ね」

泉  

「そうですよね、、泉も歌いにくい歌って嫌いです」

トミー

「だろー、それとこれとは一緒の事だからね…」

泉  

「了解しました、、持つべきものは作家に一台トミー爺ですね!」

   「ハハハハハッ」

トミー「なにそれ?作家に一台って、、」

皆さんも気をつけましょうね

 

トミー爺の今日のお薦め

トミー爺が昔マネージャーをしていた作詞家「佐藤ありす」さんの代表作です。彼女のメロと歌詞のマッチングは凄いです。

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旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

作詞Q&A 作家名は書かれているか?ファイル名に気をつけろ

お疲れ様です。

トミー爺です。

 

さて今回の作詞Q&Aは「作家名が書かれているか?」凄く当たり前のように思うかもしれませんが実は結構多いんです。

 

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ー四国金毘羅神社からの眺めー

提出作品に作家名が書かれていないって事ってあるの?

皆さんそんな事ある訳ないって思っているでしょう、、そんな事があるんです。


さて、お馴染みのしわき泉嬢にまた登場してもらいましょう。

ここは渋谷にあるトミー爺の事務所に泉嬢がやってきました。

泉  「トミーさん、、、、あれっ?また居眠りですか?」

トミー「おー泉ちゃん おはよう!」

泉  「おはようじゃないですよ、今何時だと思っているのですか?」

   「この前送った私の詞見てくれました?」

   「メールに添付して送ったやつ…」

トミー「そうだっけ、、?えーと、、あれっ?無いな…」

   「この前のコンペの作品と一緒にしてしまったかも…作品名って何?」

泉  「何言ってるんですか【LOVE】ですよ、、探してみてください」

トミー「ごめんそのタイトルって10作以上あってどれだろ?」

あれっ?トミー爺、泉ちゃんの作品探せないみたいです。

 

sakunaro-dojo.sakushisakkyoku.com

ファイル名にも作品名と作家名を忘れるな?

トミー爺、やっとのことで泉ちゃんの作品を探し出せたみたいです。

トミー「泉ちゃん、ダメだよ、、ファイル名にも名前を書かないと」

泉  「えっ?なんですか?ファイル名に名前って」

   「私の作品、分からないんですか?」

トミー「じゃ、泉ちゃん、この作品の中から探してみてよ」

 

トミー爺のパソコンのフォルダーには「LOVE」というタイトルの作品が15作品くらいあってどれもタイトルだけが書かれていました。

 

泉  「えー?どれだろ、、、分からないですね、、」

   「やばい、、私の作品、渾身の作品が迷子になっている、、」

つまり泉ちゃんは、そのファイルが自分の手を離れて独り歩きするって事に気がついていなかったということに…これは実は大変な事で、コンペで一回に100~200作品集まる時は大ピンチです。

 

ファイル名に名前を書かないと誰の応募作品か分からない…

自分で作品を作った時は自分の作品だからタイトルだけファイルに記入しておけば判別点くのですが、自分の手を離れてコンペなどに出した場合、今回の様に同じ名前が多数送られてくるってこともあります。

 

そうすると選び手はそのファイルが誰のものか分からなくなりますね。

 

実際、トミー爺の所にもその様な作品が沢山送られてきます。

 

そこでファイル名の付け方のルールをお知らせしましょう

 

作家名_タイトル_送った日付け_(作家事務所名)

*作家事務所名は所属事務所が無ければ書かなくてもOKです

 

ex) Shiwakiizumi_LOVE_2021.12.25_tommysoffice

 

みたいに書いておけば誰がいつなんていう作品を送ってきたのか直ぐわかりますね

出来れば、全部半角文字で書いた方がベスト!

もし環境依存文字とか使った場合、文字化けして判別付かなくなる事もあるので注意

ja.wikipedia.org

www.fmworld.net

皆さんも、あなたの作品が迷子にならないようにきを付けましょう。

 

トミー爺のお薦めの一枚

今回はフォークソング大全集、この時代の詞ってすごくレアな言葉が多く使われていて現代に応用できるヒントが満載、ぜひチェックしてみてください

 

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旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

映画「プラダを着た悪魔」から学ぶ物語、人物像の作り方

お疲れ様で~すのトミー爺です。

 

今回は映画「プラダを着た悪魔」から学ぶ作詞術と称して、作詞に物語、ストーリーがどれだけ大切か、、を一緒に考えてみましょう。


興味ある方も無い方も、、、最後までぜひお付き合いくださいね、、よろしく!

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 映画やドラマには魅力的なストーリーがある 

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作詞にはテーマを魅力的に表現する為に魅力的なストーリーが必要不可欠です。

そして ストーリーを面白くするのは、作詞家の発想力です。

 

今回はそこに焦点をあてて「作詞の為のストーリー作り」を紹介させてください。


作詞にはしっかりとしたテーマを考えるのが重要です。

そして、そのテーマを最大限に聞き手に伝える為に「ストーリー」「物語」が必要不可欠なんです。

 

興味がある人は下の記事でチェックお願いします。

sakunaro-dojo.sakushisakkyoku.com

ただのハッピーエンドの物語はつまらない 

例えば、こんな物語、ストーリーだったら、あなたはどう思いますか?

ある素敵な女性がカッコよい男性を好きになって結ばれました!

ハッピーエンド!!

これでは面白くないですよね。


そこで「ある女性が…」という所を「失恋して落ち込んでいた女性が…」とするだけで、どんな恋愛をしたのだろう?


とちょっと興味が湧いてきませんか?


作詞の場合、書こうとしているテーマに対して、どんなストーリーが作れるのかがポイントになります。 

そこが作詞家の腕の見せ所であり、個性が表現できるところだと思います。

 

プラダを着た悪魔」から学ぶ魅力的な人物像、物語の作り方

 

プラダを着た悪魔」っていう小説って知っていますか?

(2003年4月に刊行された米国の小説、ローレン・ ワイズバーガー著) 

【あらすじ】

ジャーナリスト志望の主人公が悪魔のような最悪の上司の下で前向きに頑張り成長していく姿を描いた物語で、主人公の頑張る姿が同世代の女性から支持を受け、世界的なベストセラーとなった小説。

世界27か国語に翻訳されていて、日本語版は早川書房より発行されています。


2006年に映画として公開され大ヒットしましたね

で世界的な大ヒットになった映画、、トミー爺もヘビーローテーションしている映画なんです。

www.youtube.com

この映画で一番すごいな…と思ったのは、

キャリアのためとはいえ、私生活はめちゃめちゃ。この会社で、このままでいいのか、、? 自分は本当は何をしたいんだっけ、、、、、?と悩む女性が描かれていて、そして次第に彼女の才能が開花していく、、、そんなサクセス物語が描かれている映画です。

 

しかし、そのまま上り詰めて行けば天下をとれるはずだったけど、天下取りの道を選ばず、自分らしい生き方を選択させた著者の考え方がすばらしい。

そして映画の中の主人公の生きざまがかっこよかった。

彼女に生き様に沢山の人達が共感して拍手を送ったはず。

今までは片時も手放さなかった携帯電話を噴水の中にポイって投げ捨てる、そして前を向いて歩いていく、、彼女、カッコよかったです。

 

歌手は色んな物語を歌えるから好き 

そして歌の世界でも同じことがいえると思うんですよ。

以前、ある番組で歌手のクリスハートさんが「歌で色んなストーリーを歌えるのが好き」と言っていました。

そういってもらえれば作詞家冥利に尽きますよね!

 

これからも解るように作詞家の仕事って「物語を作る、魅力的な主人公像を作る」事。

先ほどの「プラダを着た悪魔」でも主人公の生き方、、

 

頑張って出世する主人公  

  1. 一つの生き方
    憎たらしい上司を蹴落として自分がその上司の地位を引き継ぐ

  2. もう一つの生き方
    今の地位を捨てても自分らしい生き方を選ぶ主人公

 

このどっちの生き方もありだと思います。

 

「1」の生き方はヒーロー系のストーリー、「2」の生き方はヒューマンドラマ系のストーリー。

 

皆さんだったらどっちの生き方を選びますか?

 

そういう意味で映画や小説って、色んな生き方を教えてくれる教科書だと思います。

 

ただ、人それぞれ同じ映画を観ても感じるところが違いますね、それが経験値でもあり個性だと思います。

 

同じ映画を観て「3」を感じる人、「10」を感じる人。

 

決して優劣をつけるものではないですが、作詞を志すなら、出来るだけ沢山の事を感じ取れるようになれると良いですね。

 

トミー爺も、もっともっと自分磨きをしなければ、、って思ってしまいますよ。

 

トミー爺のお勧め映画

恋に仕事にがんばるあなたへ贈る
ゴージャス&ユーモラスなサクセスストーリー

映画の言葉 “決めるのは、あなた"なんとも素敵な言葉ですね

2番が書けない時が「Step up」のBest タイミング?

お疲れ様で~すのトミー爺です。

さて、皆さん作詞をしていて1番は書けるけど2番が…と言う人いませんか?

それって原因は…

 

今回はそんな話を中心に行ってみましょう。

ということで意味もなくハイネケンの写真、、笑い。

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2番が書けない…ひょっとして書きたい事…見えていないのかも

普段の友人同士の会話を想像してみてください。

あなたがある事を話した時に、相手はちょっと理解できていなさそう…そんな時にあなただったらどうしますか?

 

ちょっと目線を変えて、例え話などを使って分かってもらおうとしませんか?


最初の話、、、例え話、、、

でも、どうして伝えたい話、内容を例え話に言いかえれるのでしょうか?

たぶん、話す時点で相手に伝えたい内容をしっかりと把握しているから、例え話を持ってこれるのだと思います。

これって作詞にあてはめられるのでは?

一番だけしか書けない…そんな悩み持っている人いませんか?

皆さんの作詞スタイルはどんな感じ?なんとなく作品を書いていて、それで一番が出来た…でも、うーん2番が、、、という感じではないですか?

 

例えば、こんなパターンで作品作っている?


「何となくテーマを書き出してみる」そこからイメージで出てくる言葉を並べてみて作品作りをする…

例えば、「失恋」をテーマにしよう、、と考えますね。

でもテーマ設定がまだ漠然としているのでなかなか前に進まない…


たぶんこのパターンだと思います。

どうでしょう…

テーマに沿って物語を作る意識を持て!その突破口は登場人物…

先程のテーマ「失恋」、これだけだと行き詰まるけど、そこに「AくんのB子さんへの失恋」とするのはどうでしょう…そこに主人公とヒロインを登場させてみると状況は一気に好転するはずです。

 

主人公とヒロインが登場する事でいろんな物語を考えることができます。

 

さてここで「作詞Q&A」登場してもらっている泉ちゃんに登場してもらいましょう

 

ーある日のトミー爺の事務所でー

「おはようございま~す、泉で~す」

「トミーさんいますか?」

 

陽の当たる窓際のソファーでうたた寝をしているトミー爺を発見。

 

「トミーさん、また寝ているんですか?」

 

トミー爺

「アー、、、、泉ちゃんか、、、」

「いい天気だよね、、ついうとうととさ、、、」

 

「トミーさんは呑気でいいですね!!」

 

トミー爺

「そうそう、、呑気は損気、、なんちゃって。。」

「ところで泉ちゃんどうしたの?詞出来た?」

 

「一応書いているんですけどね、、」

 

トミー爺

「どれどれ、、、」

 

作品を見てひとこと、、、

 

「泉ちゃん、1コーラスしか書けていないね、、」

 

「えっ? 一番だけじゃだめですか?」

 

トミー爺

「だって通常の曲って2ハーフあるでしょ、、」

「1コーラスだと曲にならないと思うよ。。。」

「まずはフルコーラス書き上げる習慣をつけないと、、、」

 

「そういえばそうだよね、、」

「2ハーフだよね、、出来るかな?チャレンジしてみるね」

 

1番は書けるけど、2番が書けない… 

 

あれから数日たって「さくなろ音楽事務所」では、またまたトミー爺はウトウト、、、そこに泉ちゃん登場。 

「おはようございま~す、トミーさんは?」

 

トミー爺

「ファ~ィ。。ここだよ!!」

 

「また寝てましたね、、」

 

トミー爺

「どう、詞書けた?」

 

「それが、、1番は書けるけど、2番が書けないんですよ」

 

トミー爺

「そーか、、、良くある良くある。。」

 

「えー?みんなそうなんですか?」

 

トミー爺

「そうそう、、そういう人多いよ」

「みんなテーマ、ストーリーをよく考えないで書き始めるからね、、」

 

「テーマ?、、ストーリーってなんですか?」

2番が書けない…と感じたら次のステップに進むタイミング

一番は書けて2番が書けない…そんな人、、実は多いんです。


その原因は

  • テーマを絞り込まないで作品作りをする
  • ストーリーがちゃんと考えられていない
  • 登場人物のキャラクターが熟考されていない

 

など、色々あります。

 

自分的には大ピンチの時と思っているかもしれませんが、実は大きなチャンスなのかもしれません。

 

だってそれまで2番が書けない…って悩んだことがないのに、悩めるだけのスキルが身に着いたということなんですから…


その一つの打開策として「設計図」を作ってみるのもありだと思います。

作詞の仕方には色んな方法があるのですが、トミー爺が推奨するやり方として「作詞の設計図を作って作品つくりをする」、、、

 

プラモデルを作る時って大部分の人は「設計図」を見ながら作りますよね、、つまり設計図って完成までの道順を分かりやすく図式化したものだと思います。

 

作詞にもその設計図を作ってみると意外と上手くいくのかもしれません。

 

簡単に言うと「作詞ノート」を作ってそこに頭の中にある全部のイマジネーションを書き込んでいく…そうすることで自分が書きたい内容が具体化しますね…

 

今度は具体的にどうやっていくのか?

それを書いてみましょう…

 【トミー爺のお勧め本】

読み進めていくうちに自然と作詞をしたくなる!

  • 作詞に興味がある人
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3000曲以上の作詞をし、数々のヒット曲を手がけた、日本でも数少ない、生業を「作詞家」といえる著者の「作詞読本」。

 

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また、類書にはない作詞の推敲例を取り入れ、プロとアマの言葉へのこだわりの差を実践で解説する。

 

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旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

尾崎豊 Birthツアー 偶然が引き起こす最高のライブ、、の巻

お疲れ様です。

このブログは「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」に掲載した「ロックオン奮闘記2-尾崎豊Birthツアーで再発見出来たもの-」をさくなろ道場用にリライトした記事です。

あの時に書けなかった事、いろいろ、、、お楽しみに。

 

さてさてトミー青年の突っ張り奮闘記?読んでくれました。

まだ読んでいない人はぜひチェックしてみて…

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それは西本くんの「トミー相談があるんだけど…」から始まった

今回はものすごいツアーを経験させてもらったことを自分の記録としても書かせてもらおうと思います。

彼の訃報を聞いて四半世紀が過ぎた現在でもトミー爺の記憶には鮮明に映像が流れてくる、、そろそろ自分の気持ちと体験を書き残しておきたくなったので紹介させてもらいますね。


1990年ころだったかな…西本くんが仕事をしている都内のスタジオに行った時、西本くんから「トミー相談があるんだけど…」と、、この一言からあの伝説のツアーが始まったのかもしれない…


その内容は

「実は尾崎くんから電話が来て、全国ツアーをするんだけど手伝ってほしい…と言われた、、、どうしたら良いと思う?」

 

尾崎くんというのは尾崎豊さんの事で、その彼が全国ツアーを計画していて、そのバンドマスター(バンマス)として西本くんに手伝ってほしい…ということらしい…


ただ、西本くんはプロデューサーとして活動する為に、佐野さん(佐野元春さん)のバンドを休んでいる時だった、、このタイミングで尾崎さんからのオファーを引き受けるとなると、、ここは難しい選択、、

 

トミー 「そうか、、アキラは(西本くんの事)どうしたいの?」

西本くん「いい時期だし、やっても良いかな…と思っている」

トミー 「俺もそう思う、、だったらそうしようよ…」

 

確かこんな会話をした記憶が…

 

当時、尾崎さんは2枚組のアルバム「Birth」をリリースして、そのアルバムを引っ提げて全国ツアーを計画、、、そのツアーでのサウンド、ステージアレンジを西本くんにお願いしたい…と言う事で今回の話、大きなチャンスという事には間違いなかった…

「Birth」ツアーの準備が始まる…まずは尾崎さんと名刺交換?

早速、尾崎さんのマネージメントにトミーから連絡をして、会社のスタッフさんと打ち合わせが始る、、、そしてあの伝説のツアー「Birthツアー」が動き出した。

 

まずは顔合わせという事で都内にある尾崎さんの事務所に西本くん、トミー、ソニーのプロデューサー須藤さん、尾崎さんの会社の副社長、そして尾崎さん本人が集合。

 

なんと、ここで尾崎さんと名刺交換することに

「初めまして西本くんのマネージメントの染川です」

「尾崎です、、トミーさんっていうんですね、笑い」


あの尾崎さんと普通に名刺交換するって笑えるでしょう…この時に交換した名刺はいまも大事に保管してありますよ、、あの伝説のツアーがこの時に動き出した瞬間でした、、

 

バンドメンバーを決めないと…結構すごいメンバーが集まった

尾崎さんは今回のツアー、こんな感じにしたい…と構想を熱く語ってくれた、、そしてみんなでバンドメンバー選択の話に…

 

尾崎さんからトミーと西本くんに「Birth」のCDが手渡され、そのCDを聴いてから具体的にバンド編成の確認とメンバー選びがスタートする事に、、、

 

尾崎さんの事務所を出て帰り道、もらったCDを車の中で聴いてみた。


「えーカッコよい…!」


飽きれるでしょ、、実はトミー、尾崎さんの名前は知っているけど音楽は聴いたことが無かったんです、、それが初めて聞いた音がカッコよくて、、あとで西本くんに電話して「アキラ、尾崎くんっていいね、かっこいい!」って寝ぼけた事を言っていた、、我ながら何なんだお前は!って感じ、、笑い。

もっと間抜けなことを言うと、ある日FMから尾崎さんの「卒業」が流れてきて、このアレンジ誰だろう、、まさかアキラじゃないよな…すみません西本くんのアレンジでした。後でアキラに言ったら殴られそうになった、、笑い。

ちなみに西本くんは尾崎さんのCD3枚の殆どのアレンジをやっている人だった、、もちろん「I Love You」のアレンジもピアノも西本くん「卒業」「17歳の地図」、、すごいよね!フー知らないって恐ろしい、、今だから言えることだけどね、、、笑い。

 

そして集まったBirthツアーバンドの面々が下記

THE BIRTH TOUR BAND

尾崎豊 - ボーカル、ギター、ピアノ
・西本明 - キーボード、バンマス
・長田進 - ギター
・鈴川真樹 - ギター
・渡辺茂 - ベース
・滝本季延 - ドラムス
・里村美和 - パーカッション
・関誠一郎 - サクソフォーン、キーボード
・岩本章江 - コーラス
・山根栄子 - コーラス

 

最高のバンドメンバーが集合!さあさあリハーサル初日だ

そして3月くらいだったかな…都内某スタジオに全員集合、リハーサルがスタートした。

 

本当に尾崎さんの曲は殆ど聞いたことが無いトミー青年、ファンの人からすると羨ましがられるかも知れないけどリハーサルで生演奏を聴きながら尾崎ワールドに引きづりこまれた感じ、、、笑い。


また集まったサポートミュージシャンが凄い人たち、ドラムの滝本くんは尾崎さんの初期のアルバムから西本くんと一緒にアルバムに参加、重たくて重厚なリズムを刻む、そしてベースの茂さんはそこに「うねり」を持たせてくれるベーシスト。

またギターの二人、長田君はワイルドなギタースタイル、そして鈴川くんはソリッドなロックを演奏するギタリスト、パーカッションの里村くんは演奏はもちろんだけど動きがアクティブなステージング、コーラスの二人もダイナミックな日本人離れしたステージング、サックスの関くんは理知的な印象がするミュージシャン。

このメンバーが出す音ってどんな感じなんだろう、、興味爆発って感じ、、笑い。

今でも覚えている、リハ初日の出来事、トミー衝撃受ける、、の巻。

舞台監督が「尾崎さんどの曲から行きますか?」という問いに

尾崎さんは「セブンティーンマップにしましょう」と言った、


トミーは「セブンティーンマップ???」なんせ聞いたことが無いんだからしょうがない…

 

そして始まったとたん、唖然とした、、そこには本番と同じパフォーマンスする尾崎さんがいて、めっちゃカッコよかった!


普通、まずは音合わせをして、そして通しリハ、、ゲネプロ、、と次第にテンションを上げていくのが通常のツアーリハだけど、尾崎さんは違った、、最初からテンションマックス!明日ツアーが始まってもOK。。

 

そんな感じでしたよ、、

 

この調子で「卒業」「シェリー」「I Love You」「太陽の破片」などあの名曲たちをリハーサルで練って行く、、バンドメンバーも次第に個人個人の個性が出てきて音が完成していく、、こんな経験をさせてもらってトミー、本当に100年分の経験をもらった感じですよ、、

 

そして尾崎ナンバーを次第に好きになっていった、、

 

ツアー初日横浜アリーナ、一曲目「Fire」を聴いたとたんにぶっ飛んだ

そして初日の横浜アリーナ公演がスタート。

会場が暗転になり、SEがなり始める、、会場からはなんとも言えないお客さんのうめき声のようなものが聞こえてくる、、そしてFireのイントロシーケンスが始まり、尾崎さんが登場「Fire」タイトルコールで演奏が始まった。本当に鳥肌もの、全身の血が湧き上がる感じの衝撃を受けた。

www.youtube.com

これは最終公演の代々木体育館の映像(kotikamedesuさんのYoutube映像をから)

日本のバンドでここまでエンターテインメントしているバンドって過去にも未来にも唯一のバンドだと勝手に思っている、、本当にすごい!

6万個の目線を一身に受けて跳ね返せるこのパワーって

実はこのライブってハプニング続きですごかったんですよ、それも尾崎さん本人が巻き起こすハプニングだから面白い。

 

我々スタッフは全体の流れを把握しているので、この曲の後はこれで…ああなって、、と分かっていながらライブを見ているのだけど、突然


「あッ!マイク投げた、、昇った、、」

「フリーズムーン」だったかな???尾崎さん一番を歌い終わったらマイクを舞台袖に向かって投げたんです。

 

それを見ていたローディが辛うじてマイクをキャッチ、そしたら尾崎さんがタワーを昇り始め、そのマイクを持って舞台監督が二人、尾崎さんを追いかけて昇っていく、多分それを見ていた尾崎さんは当然マイクをもって来ていると信じているから、ちょっと昇るスピードを緩め、そして頂上に着いたらマイクを持った舞台監督が本人にマイクを渡す、、瞬時に色んな動きを計算しているんでしょうね、、まぢ天才です。

その間バンドは様子を見ながら間奏部分を繰り返し演奏続けていて、それを見た尾崎さんはタワーの上で演奏の音量を下げるように手で指示、バンドは遠隔操作されるように音量を下げる、、そしてストップするように合図、そうしたらバンドは演奏をストップ。

 

そして語り始める、、それに合わせて西本くんが即興でピアノで答える。

バンドメンバーはタワー上の尾崎さんの一挙一動を真剣に見つけているのが分かる…

 

そして手で来い!って合図するとまた演奏をスタートする。こんなやばいコンサートは生まれて初めて体感させてもらった。

 

それと「Birth」という曲だったかな、地方公演でいきなり尾崎さんがギター弾き語りで演奏始めた、、

実はこの曲は最初ドラムのカウントでバンド演奏で始まる曲、でも本人が歌いだしたのでバンドメンバーはそれに合わせるしかない…めいめいが途中から合流始める、、これもすごいでしょ、、

もっとすごいのは尾崎さんはきっとこのバンドだったら着いてきてくれる…と見越していたんだと思う、一番を歌い終わって、ちょっとだけ間を作り、そして「3!4!」のカウントを突然叫ぶ、そしたらバンドがイントロから演奏始めた、、

これって打ち合わせなしでいきなり、、鳥肌物ですよね、、この曲は後にカラオケにギターイントロバージョンとして入っていると聞いたとき大笑いしたことを覚えている。

 

あと太陽の破片という曲の最後でボーカルだけになる所があり、そして囁くように歌うところがあって、そこは尾崎さん一人に6万個の目が尾崎さん一人の息使いに注がれる、そんな重圧を一人で背負え押し返すパワーってすごいですよね。

 

本当に底知れぬエネルギーをもらえたツアーだった。

そしてトミー青年のその後の音楽人生にも大きな影響を与えてくれたツアーだった。

 

それから尾崎さんとは最後のアルバム制作でも西本くんが半分担当になったのでお付き合いさせてもらった…

 

物凄いパフォーマーですよ尾崎さんは。

 

 

 

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

負け続け人生、、無駄な経験などない!負け続け20代ありがとう!

お疲れ様です。

この記事「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」に書いた「社長の片腕、トミーのロックオン奮闘記、その1」をさくなろ道場用にリライトしました。あの時に書けなかったあんなことも…ぜひチェックお願いします。

 

さてさてトミーのジェットコースター人生、ロックオンに入社したはいいけど全くの素人がどうやって信頼を勝ち取っていったか?

 

そんな話です。

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この記事の内容は

突っ張ることがトミーの、、♪たった一つの勲章♪

とにかく経験が少ない素人がいきなりトップクラスの人と仕事をするには、どうしたら良いのか?

 

「見栄張って突っ張るしかないっしょ、、」笑い


まずは身内からの信頼を勝ち取らないとまずかったので、最初にしたことはスタジオの電話番号を全部覚えました…

当時は携帯電話なんて世の中に存在していなかった時代で、電話は会社の電話か?又は公衆電話でかけるしかなかったし、とにかくスタジオに電話することが多かった。

自分で早引きできる電話帳を作っておいて、OTさん(社長)が「音響1stって、、」言ったとたんに「〇〇ー〇〇〇〇…」みたいに教える、今は発信履歴をチェックすると一発なのにね、、

 

そして当時毎日車移動だったのでスタジオへの道順、都内の道路は頭の中に叩き込んだ。それを続けていくことで段々「トミーやるな…」と思われるようになっていった、、はずmm、、多分、、笑い。

こうやって地味だけど必死に自己アピールを続けて行くことに、、まずは存在感を演出しないとね、、生き残っていけない…笑い

 

小心者だけどスタジオでは主のような雰囲気をかもし出す

トミーは実は極度の小心者、ビビり。

そんな奴がトップミュージシャンがいるスタジオで仕事をする為には突っ張るしかないでしょう…

ただ、肝っ玉とは反対にトミーが醸し出す雰囲気はどうやら貫禄があるように見えるらしい…だから実際はビビりながらもどっしりと構えていられた…笑い。

それも強みの一つかな?

 

よくあるでしょ、、借りてきた猫って感じの時、、それを持ち前の派手な顔と少し貫禄ついてきた体系でカバーしたって感じでしょうか?

負け続けていた20代の知識が今になって役立つ時が来た…

本当に神様は未来の為に色々と経験を積ませてくれていたんだな…以前も書いた通り、本当に20代は何をやっても上手くいかず、中途半端だったトミー爺だけど、ここで逆反り大逆転、、ついに来ました!!

それはヤマハ時代に覚えたスタジオの知識、舞台の知識がここで役に立ったんです。

当時スタジオってリズムがRECできる大きさ、ダビング用のスタジオ、フルオケが録れるスタジオ、、と色んな大きさがあったり、もっとめんどくさいのがマルチテープレコーダー(略してテレコ)。

当時ソニーの3324と言われるデジタルの24トラックあるテレコが主流だったけど、もう一つ三菱の32chのテレコも使われていた。

だからレコーディングするときはソニーか三菱のテレコを選ぶ必要があり、ソニーでリズムRECしたプロジェクトは三菱のテレコでは仕事ができない…そこを把握して調整する必要があったんです。あとレコーディングの流れもヤマハ時代に経験しているので全く物おじせずに中心になって動く事が出来た、役に立つもんですね、、

またある時、確か氷室さんのツアーの時だったかな?当時西平くんがツアーに参加するという事で、ここでも若いころの舞台の知識が役に立つ…ある日、氷室さんのマネージャーさんと舞台監督、PAさんが来て「トミーさん、今度のライブの舞台図ですが、この位置に西平さんの楽器って乗り切りますか?」と図面を見せてくれた、普通だったら訳わからないのが当たり前だけど、新人マネージャーのトミーは図面をみて、、

 

「あー尺上がりなんだ、サイズは6、9ね、、、大丈夫ですよ、ただ動いても大丈夫なように天板と足場の補強よろしく」、、当時西平くんはキーボードを弾きながら派手に動いていたので…

またPAさんとの打ち合わせでも

「トミーさん西平さん回りで何回線必要ですか?」

「キーボードミックス使っているのでラインアウト、LRからツーミックスで送りますからそこからとってください」

 

みたいに答えられた、、周りは「何こいつ、、なんでこんなに詳しいの?」と思ったと思う、本当に無駄な経験って無いんだな…とこの時につくづく思いましたよ。

 

同時に5~6個の案件が同時進行、脳みそのコイルが焼き切れそう

先ほど書いた通り西平くん、西本くん、Tsukasaくん、プラス作曲の水島くんや作詞の佐藤ありすさん(chu chu trainの作詞担当の作詞家)さんが加わって大変だった。

西平くんや西本くん、二人とも同時に2~3プロジェクト同時進行しているし、作曲家二人、作詞家一人でしょ、、それがフル稼働しているんだから脳みそがシュート、、でなく「ショートしそう」になる日々だった、笑い。

 

それに当時はリゾートスタジオ、河口湖や山中湖にあるスタジオで長期で泊りがけでレコーディングが流行っていて、、泊まり込みで集中してレコーディングできるからプロジェクトの追い上げ時期に結構利用していた、、だからトミー爺もそんなところにも顔出さないといけない。

今だったらオンラインで、、携帯で、、みたいに処理できるのに、あの当時は人が動かないとダメな時代、、リゾートスタジオに行く時は、昼から都内のスタジオに行ったりして調整事を片付けて、夕方にリゾートスタジオに向かう…そうすると夕食時にスタジオに入る事ができ、そこで打ち合わせや調整事をして夜にまた都内に戻ってくる…そんな生活が当たり前に繰り返されて行った。

自分の言葉で表現する事で居場所を確保できる事に気がつく

それとスタジオでミュージシャンたちの演奏を聴いている時も頭の中はフル回転。

というのも演奏終了したミュージシャンたちはプレイバックで演奏の確認の為にスタジオに戻ってくる…その時に思いっきり試されるんです。

「トミー、今の演奏どうだった?」ってね…


だから演奏を聴きながら自分の言葉で答えられるように常に触覚を研ぎ澄ませないと、「なんだこいつはダメじゃん、こいつに聞いても無駄だな、、」なんてレッテル貼られてしまうのでここも突っ張った。

「なんか身体が熱くなる演奏だったね、、俺は好きだけど…」


みたいに自分の言葉で返すと、そこはトミーの考え方なので間違いはない、その後の人生いつも自分の言葉、表現をできるように訓練できたのもこの経験があってだと思う。


なにせ相手は超一流の音楽家だから素人トミーが勝てるわけない…だけど真向勝負を挑むのではなく自分の言葉で自分の感想を言ったらそれは間違いではない…そしてミュージシャンからは「こいつ面白い事いうな…」と思われて、それ以降も意見を求められることも増えた気がする。

やっぱ自分だけの言葉って力があるんですね

崖っぷちに立った時と相手の立場に立ってみると見えるものがある

そしてもう一つ経験できたのは「崖っぷちに立たされた時の考え方」

色々メンバーやプロジェクトの調整をしていると、どうしても思い通りには行かない時も頻繁にめぐってくる…

「明日レコーディングするスタジオがまだ抑えられていない…」

「クライアントとミュージシャンの間に入って揉め事のど真ん中に…」

「仕事上の人間的なトラブルに巻き込まれる」

 

こんな感じの色んな事が同時進行で襲ってくる、そこをどうやって乗り切るのか、周りみんなの利益を守ってあげると案外うまく行くもんです。

 

例えば、簡単な例を言うと、メンバーのスケジュールがガチガチに入っている時に新規や常連さんから問い合わせが来たりする。

「トミーさん、〇〇で5曲アレンジお願いできませんか?」

スケジュールをチェックしても5曲なんて全く無理な状況、何せ全国ツアーなんかを抱えていると一年先までスケジュールが入っている状況、、、

 

こんな時、普通は「スケジュール入っていて難しい…」と断る事が定石。

でも無下には断らなかった。

 

「スケジュールがガチガチなんです、、でも調整してみるので時間もらえますか?」

その後メンバー、関係者にはかなり無理なお願いするけど、前後のスケジュールを少しづつずらしてみる、、もちろん各方面に事情を説明、でも各方面にはデメリットが無いように調整するのはもちろんの事だけど、、当然、今まで組んでいたスタジオやミュージシャン等のスケジュールを動かす事になるので、そこはトミーの方で全部出来るように調整してからお願いすることも忘れなかった。これは当たり前ですよね…

 

そして、問い合わせくれた人に連絡する。

 

「調整してみました、5曲は無理でも1曲だったら可能かもしれません」

こう言うと相手の立場も立つ、、というのも恐らく相手の会社ではこんな状況になっていると予想できるから、、

 

上司 「〇〇さんのスケジュール5曲編曲できるか確認してくれ」

担当 「スケジュールいっぱいで無理みたいです」

上司 「なんだ、アレンジャーのスケジュールも取れないのか?交渉したのか?」

担当 「、、、」

 

でも実際は

 

上司 「〇〇さんのスケジュール5曲編曲できるか確認してくれ」

担当 「スケジュールいっぱいで無理だったのですが、無理やりお願いして一曲だけOK、スケジュールもらいました」

上司 「おーそうか、、取れたか、、じゃシングルの表題お願いするか、、」

   「お前やるじゃないか!お疲れ!!」

担当 「ハイ!」

 

ここで相手の状況をちょっとだけ考えてあげるとその先の仕事につながっていく。たぶんこの考え方には色んな意見があると思うけど会社組織の人間というよりフリーランス人間の考え方かもネ、笑い。

 

まだまだ続きます、、次はアーティストさんから沢山パワーをもらった話などを…

こうご期待…

 

今日のお薦めの一曲

今回見出しでも使わせもらった「男の勲章」行ってみますか!やっぱりこのメンバーに登場してもらわないとね!

www.youtube.com

 

若きトミー、名刺の肩書「子分」から「社長の片腕」に出世する、、の巻き

さて若きトミーのドタバタ人生の続き、この記事は「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」に連載されたのを「さくなろ道場」用にリライトした記事です、あの時に紹介できなかったあんな事も…。


人生なかなか上手くいかなく、もがいていたトミー青年にあるディレクターから神のような一言が…「トミー、OTくん知っているよね、彼が新しく作家事務所を作るので手伝ってあげてくれない?」そしてトミー青年、何も考えずに「いいですよ」と答えてしまった。

これがその後の人生に大きく舵を切った瞬間、怒涛の人生のスタートでした。

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トミー青年、株式会社ロックオンカンパニーのスタッフになる

この会社、通称ロックオン、、(ただし、楽器屋さんとは違う作家事務所)に入ったは良いが、そこに所属している人が凄い人たちってことは、その当時全く理解できていなかったトミー青年、、恥ずかしながら…笑い。

【会社の概要】

1988年
創業 レコーディング制作、プロデューサーマネジメントを始める。
同時にロサンジェルスにロックオンアメリカ設立。積極的に海外録音を行う。数多くのメジャーアーティストのレコーディングに参加。

メンバー:大村雅朗清水信之中村哲西平彰、西本明、飯泉俊之
Tsukasa、後で、松本晃彦山川恵津子佐藤隆、水島康宏、加入。

1994年
プロダクション業務開始
森俊之 加入 樋口了一 作家加入

1996年
河野圭加入。
1998森俊之とともに宇多田ヒカルのレコーディングに参加

        ー(株)ロックオンカンパニーのサイトより抜粋ー

立ち上げメンバーの凄さが分かったのは会社が出来て少しして、キックオフパーティーをすることに、焼き鳥屋さんの個室を借りて「ガンバロー」ってやったんですが、そこにUSENが流れていて、そこで流れる曲の八割が今ここにいるメンバーの作品だった、、これってすごくないですか?

 

そんな中に駆け出しスタッフとして参加できたわけです。

とはいえその中で一番経験が無かったのもトミー青年だったのは確実、笑い。

ちなみに1996年に加入した河野圭くんはそこから数年後に宇多田ヒカルさんの「Automatic」で大ブレークする、、


彼以外にも当時の音楽シーンの中心で活躍するメンバーばっかりですよ。

スタジオ廻りで最初に紹介されたギタリストがあの、、、

右も左もわからないトミー青年、とりあえず社長のOTさんとスタジオ廻りをすることに…そこで色んな人に紹介されたり、色んな会話をするのだけど、最初に紹介されたミュージシャンがギタリストの今剛(こん つよし)さん。あのスタジオミュージシャンのトップクラスの人、レコードのクレジットで何度も見ている人が目の前に…

「コンちゃん、彼、今度一緒にやるトミー、彼は優秀だよ」

「トミー、よろしくね!コンです」


こんな自然な会話ビビりまくったトミー青年、、確か音響ハウスの1stロビーだった記憶が…

その後もクレジットでしか見たことが無いミュージシャンたちと一緒に仕事をすることに、そして後日そんな超一流メンバーの演奏に良いとか好きとか言っている自分がいるって、この時はまだ想像すらできない…

ロックオンはマンションの一室、何も無い一室からスタート

最初に事務所を借りたところが六本木のマンションの一室、まだ机も運び込まれていない状況で、一緒に働くことになったM子ちゃん、彼女はそれまでバリバリのスタジオマネージャーだった、、

何もない床にファックスが入っていた段ボールを机変わりに、電話は床に直置き状態での仕事スタート。

床に座ってそこで手帳を広げて電話を取る「ハイ、ロックオンです」、、これが一番最初、ロックオンカンパニーのスタートでした。

それでどんな仕事をしていたかというと、担当プロデューサーのスケジュール管理とそれに関連する打ち合わせ、その時期に有名アイドルグループのメンバーのソロ活動のレコーディングを請け負っていたのでそのプロダクトマネージメントが主な仕事。

 

それを3人で切り盛りする事になった。

 

ロックオンに参加しているプロデューサー達ってみんな第一戦で活躍している人たちばかりなので、毎日スタジオワークをしていて、それに関する日程調整やミュージシャン、エンジニア、スタジオブッキングなどを取り仕切る仕事がメイン。

 

そしてスタジオワークって日々状況が変化するので、必ず夜、スタジオに顔出してメンバーと問題ないか?を打ち合わせし、その場で解決できる事は夜中でも動く、あとクライアントと全体流れの確認などする、、当時「ロックオンのスタジオ巡業」と言われていたらしい、、笑い。

当時のレコーディングは13時スタートで大体が深夜25時、26時ころまでやっていたので当然トミー達の帰宅は深夜深い時間が当たり前になっていったんです。

 

若かったからできたのかもしれないですね…

 

トミー、肩書好きにしていいよ、じゃ「社長の片腕 トミー染川」で

そうそう、その時の名刺なんだけど社長のOTさんに「トミー、肩書だけど好きにつけて良いよ」と言われて、それまでの名刺が嵐さんの所で「子分」だったので、そこは目立つ事を優先して、、つけたのは

社長の片腕 トミー染川


これは大うけだった、大会社の社長さんからは「トミー、どっちの腕?」なんて名前と顔を覚えてもらうことが早かった。

 

電話でも「社長の片腕、いる?」なんてかかってきたこともあった、、笑い。

 

sakunaro-dojo.sakushisakkyoku.com

新米トミーは西平くん、西本くん、作曲のTsukasaくんの担当に

最初に担当したのは「西平彰くん」「西本明くん」「Tsukasaくん」をメインで、それ以外のメンバーも必要な時にサポートしていくことに…

 

西平くんは、当時売れっ子のプロデューサーでトミーがロックオンに所属した当時名前を知っていたのは彼だけだった、確か当時は平松愛理さん、鈴木祥子さんなどを担当、その後は氷室京介さんのライブ、レコーディングで大活躍の人

 

西本くんはピアニストとして佐野元春ハートランドのメンバーだったけどプロデューサーとして活動する為にバンドをお休み、プロデューサーとしてこれから活動していくスタートの時期。

 

Tsukasaくんは以前から一緒にやっていた流れでロックオンにも加入、のちに鈴里真帆さんのプロデュースで活躍。後日ロックオンを離れてから、ジャニーズの嵐「時代」の作詞作曲、編曲で大ブレークをした。

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プリプロダクションをレコーディングに取り入れたのも革命だった

それと今、当たり前に使われている「プリプロダクション」(通称、プリプロ)を最初にレコーディングに導入したのもロックオンが最初だったと思う。

 

当時のレコーディングってスタジオにミュージシャンを集めてベーシックレコーディングをして、その後にギターなどをダビングしていく…というのが主流。


今と違って当時のスタジオ代は最低でも一日40万から50万くらいの費用が掛かっていた。あの時代、今のようにPCでレコーディングはできなかったので、すべてスタジオを使った作業をしなければいけなかった。


トミーが所属していたロックオンってアメリカにもロックオンアメリカという提携会社があった。現在ネーチャーサウンドリエーターとして活躍しているジョー奥田くんが社長として日本とアメリカのレコーディングを橋渡しする仕事をしていた。

当時、海外レコーディングが盛んでロックオン自体も海外レコーディングを積極的に推進していて、その流れで日本にアメリカRECスタイルを導入するアイデアが生まれてきたんですよ…

そこにはある理由があるのですが、、、

 

プリプロでメンバーに仕事しやすい環境を作れ

当時の所属メンバーは時間をかけてスタジオワークをしていて、イコール予算との板挟みでトミー達、マネージャーが必死にクライアントと折衝していて、何とかそれを打開できないか…と日々奮闘していました。

編曲家の作品クオリティをキープする為には時間と予算がかかる、、でも予算が足りない…そこで考えたのがプリプロダクションの導入。

「トミーさん、今回予算があまりなく何とか協力してもらえませんか?」

つまりギャラを安くしてください。という事なのでそれはできないのでこういう提案を

「じゃ、本RECの前にプリプロをさせてください。スタジオ代も安くできるし…」

こんな会話をしながら担当プロデューサーの仕事と環境を守る事に必死…

 

当時のアメリカではプロデューサーやアーティストが自分スタジオでレコーディングをして必要な時に外部スタジオを使うスタイルが定着して、又は数か月間スタジオをロックアウトで貸切って「まとめて長期で使うから安くして…」こんな方法で予算を圧縮していた、、その中でプリプロという作業が効果的という事でそれを日本でも導入するように働きかけた時期でした。

 

プリプロはシンセのマニュピレーターとプロデューサーが小さいスタジオで作業をして曲のアウトラインを作りこむ、そしてそれをスタジオに持って行ってレコーディングをしていく…この方法だと一日4~50万かかっていたスタジオ代金が一日10万くらいに圧縮できる…


同じ予算の中で1日しか使えなかったスタジオが2~3日使えるようになる、、

良い方法だと思いませんか?

 

当時、プリプロ?なにそれ?って感じだったけど、徐々に浸透していったのも記憶があります、、下で紹介する伊豆田くんのアルバムも全曲日本でプリプロをして、ガイドラインを作ってからLAでレコーディングしたんです。

 

今だったらHDでデーターを持っていく…という感じだけど、当時はそんな物無かったので、、どうしたか…それはアナログのマルチに全曲録り込んで、それをトミーと西本くん、そして伊豆田くんの3名が飛行機に持ち込みLAまで飛びましたよ、、めちゃくちゃ重かった

 

まだまだ続きます、、

 

今日のお薦めの一曲

当時、西本くんとジョーと一緒に作り上げた伊豆田洋之くんのアルバム「クラブトランプス」の中の一曲「アルゴ」すごく良い曲、いい風が吹いてくる感じ…

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【トミー爺の関連サイト】

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