作詞家,作曲家になろう!さくなろ道場

作曲家、作詞家を目指す君へ。現役マネージャーが教える作品創りのコツ、裏ワザ、一般常識などなど…誰も教えてくれなかった情報満載です。

若きトミーの負け続けジグザグ人生航路~ヤマハ編~

お疲れ様です。
還暦親父の旅日記に書かせてもらった記事「人生はジェットコースター」を「さくなろ道場」、もう少し音楽、作詞、作曲の目線でリライトしてみようと思います。

はたしてどうなるのか?

お楽しみに…

 

この記事の内容は

 

日本ブログ村ランキングに参加中!応援クリックよろしく!!

にほんブログ村 音楽ブログへ にほんブログ村 音楽ブログ 作曲へ にほんブログ村 音楽ブログ サウンドクリエイターへ

音楽少年19歳で北海道から26時間かけての上京編

実はトミー爺、北海道小樽生まれの旭川育ちなんです。
1974年ころだったかなクラシックのレコーディングエンジニアになりたかったトミー少年、どうせ目指すんだったら東京の日大芸術学部に入りたい…と思い、必死に勉強するも見事1浪。北海道で一人で勉強していても合格できない…と一念発起。

 

両親に頼んで東京の予備校に通うことにしたんです。

その当時飛行機なんて高くて乗れないので、当然電車移動。

今だったら旭川空港から一飛びで東京行けるのですが、その当時は特急移動、それも時間がかかる、、たしか、、

旭川~札幌経由で函館へ  9時間

函館~青森 青函連絡船  5時間弱

青森~上野        12時間

 

凄いでしょ、、それも列車はリクライニング無のボックスシート、約一日座っているんですよ。

 

おまけに3月くらいの移動だったので雪で列車が平気で2~3時間くらい遅れる、そうすると函館で連絡船に乗れない、当然、青森で乗る予定の列車にも乗れない…

 

今だったら考えられないですよね、、、とにかく大変だったんです。

 

2浪したトミー少年、スナックのママの一言で専門学校へ

初めての東京暮らし、確か調布の深大寺にアパートを借りて一人暮らしのスタート。

そこから予備校に一年間通いました。

 

一年間予備校で勉強したけど、日芸の壁は高く、結局その年も落ちてしまう、プラス、日芸しか受けなかった、滑り止めなんて考えられなかったんです。

 

エンジニアになる為には日芸受けるしか道はない…と思い込んでいたから3浪するしかない…そんなふうに思い込んでいたトミー少年に神様がささやきかけてくれたんです。

日大芸術学部って江古田って街にあって、受験した日にふらっと入ったスナック。

ここがトミー少年の人生を変えた場所、一言なんです。

 

「お兄ちゃん、日大芸術学部でてもだめだよ…」

 

確かこんな風な事だったと思う、その一言を聞いてなんか吹っ切れて、そうか別の道でエンジニアになろう…

 

なんか漠然とそう思い込んでしまった。

人生、方向転換する時ってそんな感じなんですね…

 

そして吹っ切れたトミー少年、上野にある放送系の専門学校に入る事に、これがトミー少年の人生を決定つける行動だったんです。

 

初めてのレコーディング実習はフェードイン、フェードアウト

そして入学したのが千代田テレビ技術学校「放送学科」というところ。

放送学科で音楽レコーディングについて勉強しようとして入ったけど、実際にやったのはフェードイン、フェードアウトの実習だけ。

 

でもあの当時のトミー少年には革命的な実習でしたよ、、、なんせ初めて音楽をミキシング?したんですもの…笑い。

 

そんな専門学校だったけど唯一良かったのは同級生、仲間。

 

当然、仲の良いグループが出来て、その中に今でも仲良くしてもらっている友達がいて、彼はヤマハ関係のバイトをしていたんです。

 

トミー少年、初めての音楽のバイトは武道館

人生を振り返ってみると本当に友人、仲間に恵まれていると思いましたよ。

 

専門学校(2年制)の1年の秋に声がかかったんです。

 

「染めさん、武道館で仕事があるんだけどやらない…」

 

武道館ですよ、、あの…

 

当時のヤマハポプコンポピュラーソングコンテストの略)をやっていて、その最終段階が世界歌謡祭でその歌謡祭の仕事があるっていうんです。

 

確か交通費しか出なかったと思うけど、お金なんかどうでも良いですよ。

音楽の仕事ができれば…そこでスタッフさんと仲良くなって…なんて考えていました。

 

その仕事というのが開場前に座席にチラシを置く仕事、そして開場になったらお客さんの席案内でした。

 

音楽の仕事では無かったのですが、トミー大満足でした。

ポプコンのトレーナーをもらって、歌謡祭のパンフレットももらった。

 

そうそう、その時のグランプリが中島みゆきさんの「時代」でした。
この曲はあとでリアレンジされたやつ 

時代

時代

  • YAMAHA MUSIC COMMUNICATIONS CO., LTD.
Amazon

 こちらがオリジナルのCDバージョン 

時代

時代

  • YAMAHA MUSIC COMMUNICATIONS CO., LTD.
Amazon

兎にも角にも この曲が世に出る瞬間を目撃したんです。

この曲は今聞いても完璧ですよね、、あの当時のヤマハのレベルの高さが聴き取れます、というよりも中島みゆきさんという人を世の中に送り出した功績、これが最大かもしれませんね、、

 

それ以外にもすごい人たちが、チャゲ&飛鳥八神純子因幡晃、サンディ、松崎しげる、、その人たちのリハーサル、本番を見ることが出来た。

 

中でもサンディは衝撃だった、あんなに歌が上手い人って世の中に居たんだってね

そこから5~6年後に再開するのですが、まだまだ先の話です。

染さん、日吉に新しくヤマハのセンターができるから来ない

確か1年生の終わりくらいだったかな?

 

ヤマハでバイトしていた仲間が「染さん、日吉にヤマハができるんだけど手伝ってくれない」って誘ってくれたんです。

 

神奈川県の横浜にある日吉という街、日吉と言えば慶應義塾大学がある所で有名。

 

そこにヤマハの音楽センターが出来て、エレクトーン教室、幼児科、バンド練習用のスタジオ、ポプコン用の録音スタジオ、小ホールがある施設でした。

 

そこのバンド練習スタジオを中心とした音楽センター全般での仕事。

 

断る理由ってなかったんで「いいよ!」って軽く返事をしたんだけど、その返事がその後の人生を変えるなんて今は夢にも思っていないトミー少年でした。

 

【予告】、、笑い。

 

ヤマハのセンターで働くことになったトミー少年。

のちの音楽シーンを塗り替えるような人たちと親交を持つことになるんです。

 

そしてこのへんから紆余曲折の人生スタートです。

 

と言いながら最初でお話しした作詞作曲の話って出てこなかったですね、、次は、、期待していて下さい。

 

今日のお薦め一枚

あの時に武道館で聞かせてもらった八神純子さんの作品ベスト

 

【トミー爺の関連サイト】

作詞作曲レッスンお悩み相談 NEW 
人と音楽をつなげる TRY-X Music

作詞家作曲家を育てるSong Bank 

【ブログ】

旅日記 還暦親父の諸国漫遊記