作詞家,作曲家になろう!さくなろ道場

作曲家、作詞家を目指す君へ。現役マネージャーが教える作品創りのコツ、裏ワザ、一般常識などなど…誰も教えてくれなかった情報満載です。

横浜銀蠅「嵐」さんの一言で「トミー染川」誕生する、、の巻き

「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」で連載?させて貰っている若きトミーのドタバタ人生、リライト、さくなろ道場バージョンです。

人生なかなか上手くいかないですね、、特に作詞家、作曲家を目指しているみんなは出口が見えない迷路にはまっている感じでシンドイ人も多いのでは?

でもこんな負け続け親父がいた、、そして何とか今でも頑張っているので何とかなりますよ、、諦めないで続けていさえすれば…今回のブログで紹介するある人の歌にもあります。「答えが出ないから人生だと…」いい歌ですよ。

この記事の内容は

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とにかくガムシャラに突っ走るもダメダメ人生は続く

和田加奈子さんの「夏のミラージュ」でTくんの作曲家デビューはヤマハを退職して2年くらい後の話…それまでは、とにかくガムシャラに働きました。

ヤマハ時代にやっていたPAの仕事、音響スタッフをやりながら作曲家Tくんのプロモーションに明け暮れる毎日が続き、幸いにも仕事の声をかけてくれる仲間もいて助かったんだけど、確かそのころも目標として月30万稼ぐ…これを目標にしていた記憶がありますよ。

確かあの時代フリーのPAとか舞台監督のチーフクラスのギャラが本番一本5万くらいだったかな…でもトミー青年、下っ端クラスなので本番1~2万くらい。

下っ端クラスのトミー、通年通して仕事があるわけではないのでアルバイトを掛け持ちして日々食いつないでいたって感じでした。
 

そうそうそんな時にあの人に相談したんです。 

 

染さんお前顔も濃いから名前も濃くしなよ…トミー染川の誕生

ここで登場するのが横浜銀蝿の嵐さん、そのころの銀蝿って飛ぶ鳥落していて、日吉をやめてからは年に2回くらい事務所に遊びに行く感じの付き合いでした。


横浜銀蠅との馴れ初めは

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まったくの素人マネージャーがレコード会社に電話しても話なんか聞いてもらえない…相手にされない日々が続きました。

確かデモを郵送する時に封筒にデカく「ヒットする曲在中」って書いて送ったこともある、笑い。

 

そのくらい目立つために何でもやった、、、
 

しかしそれも限界があり、そこで嵐さんに相談したら「だったら染さん、俺の所で働いて人脈増やしてみれば…」と言ってくれて、嵐さんの事務所のスタッフとしても働くようになったんです。


そのころ何でもやっていたから二股でなく六股くらいの仕事量だったかな?

ある日嵐さんと打ち合わせをしていて

「俺の所のスタッフでパンチってやつがいて…」みたいな話になり、どうやらそのパンチさんは派手な名前にしたら仕事が広がったらしい…
 

「染さんも顔濃いから、名前も濃くしなよ…」

下の名前聞かれて「トミカズ」って答えたら「ソメカワトミカズ」どっちが苗字か名前かわからない…みたいな話で一緒に名前を考えてくれたんです。

 

そこで誕生したのが「トミー染川」。
もう一つの候補が「サムソン染川」、、でもボツに…笑い

そして名刺を作る話になり、肩書が必要だな…という事で、嵐さん曰く「俺が社長、トミーがそのアシスタントだろ、、俺が親分で、トミーは・・・・・」

 

そしてできた名刺が
 

子分 トミー染川


ということになった、案の定、名刺交換ではその肩書、名前で盛り上がる…そしてびっくりしたのが今まで相手にされなかった業界の人たちも
 

嵐さんの事務所の子分、トミー染川です。
 

って言ったら「どうもどうも…」みたいに今までの仕打ちは何だったんだ…って感じで接することが出来るようになったんですよ。

 

事務所の肩書ってすごいですね 。

この時は肩書きがある事でメリット感じたけど、それから10数年後に逆の経験もする、、それは後で紹介しますね、、

 

トミーの年収120万、税務署スタッフから「どうやって暮らしているの?」

嵐さんの事務所では人生初の「有線放送所」回りをやった、事務所所属のバンド「ストリートダンサー」というちょっとビートルズっぽいテイストのバンドがいて、その新曲を有線放送所に行ってレコードをかけてくれるように営業する仕事をしたな…

 

関東近郊にある放送所は全部回った…放送所には有線嬢がいて営業に行くとその場でかけてくれる、、そのうちの何回かは、リスナーさんから「今の曲は誰のですか?」なんて問い合わせが来たりする、、、うれしかったね!


嵐さんの所で半年くらい丁稚奉公をしながら作曲家Tくんの営業も並行していった、二人の頑張りもあって和田加奈子さんのCDで少しづつ採用され始め結構成果が出てきた時期に、、ある出来事があり嵐さんの所を退所することに。

当時、トミーも結婚して家庭を持つようになり、余計にお父さん頑張らなくては…と言う事で音楽の仕事、アルバイトなど複数こなしながら頑張っていたけど、最初は本当に収入無くて、確か年収120万くらいだったかな、、夢ばっかり追っていたからね…

税金の申告(確定申告)で税務署のスタッフからこんな質問が

「トミーさんはどうやって暮らしているんですか?」
「ハイ、女房に食わせてもらっています。」
「頑張ってくださいね」 

 
今考えるとよくあんな時期に結婚したよな…笑い、、、と思ってしまいますよ。

そんな時期に母親の具合が悪くなり、イコール今以上に頑張って働かなくてはいけなくなったんですよ。

嵐さんに相談したら「わかった、御袋さん大事にしろよ」って背中を押してくれたのが凄くうれしかったのを思い出します。

横浜銀蠅40thファイナルコンサート行ってきました

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その後母親は無事に回復し元気になった、、しかし、トミー青年は相変わらず超低空飛行の毎日、、トホホ、、、

 

そうそう、丁度この頃だったかな?カミさんとファミレスで食事してたら日吉時代のバンド仲間が入ってきた。

 

向かうもこっちに気がついてくれて「久しぶり、今どうしてる?」って聞いたら

「尾崎やってる」という答えで、てっきり尾崎紀世彦さんのことだと思ったけど勘違いで尾崎豊さんのことだった、笑い。

 

後で知ったのだけど彼達が尾崎さんのバンド「ハートオブクラクション」だった。

 

トミー爺もその後に尾崎さんの最後のツアーとアルバムで仕事させてもらうことになるなんて、この時は夢にも思って無かった、、その話はどこかで紹介しなくちゃね

 

トミー、〇〇くんが事務所を作ったんだけど手伝ってあげて

そんな中、世の中上手くできていますよね、、仕事仲間のディレクターからあるお誘いが…


「トミーさん、OTくんが独立して作家事務所を作ったんだけど手伝ってあげて」

その時、お金になるんだったら何でもやってやろう!という姿勢のトミー青年、何も考えずに「いいですよ!」と即答。

家に帰ってからカミさんに事務所に誘われた…って話したら

「よかったね、ところで給料なの?いくらもらえるの?」

そういえば、そんな話は一切なく、固定給もらえるんだったら今よりも良いか?

くらいにしか思っていなかったな、、、のんびりした性格ですね。

今まで負け続けていたトミー青年がここから巻き返しに転じる、、続きはこの次に、、

 

今日のお薦めの一曲

実はトミー爺の音楽観が一変した曲がこれ!「宇宙のファンタジー」このバンドのライブを武道館に見に行って「ショー、エンターテインメント」としての音楽の重要性に気がつかせてくれた曲です。


www.youtube.com

 

お薦めの一枚

作曲家だったら必聴のアルバム。今から40年前の音楽、今聞いても全然古くない。このグループのリズムグルーブが凄い!どうやったらこんなグルーブが出せるのか?研究してみてください。 

アナログ盤もぜひ聞いてみるとCDと全く違っている音の世界を堪能できるかも 

 

【トミー爺の関連サイト】

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