お疲れ様で~すのトミー爺です。
今回は「ルーズな音楽が楽しい…」と題して、今の時代の音楽とちょっと昔の音楽の違い、良い所について紹介させてもらいたいと思っています。
この記事の内容は
- 音楽ソフトのおかげで誰でも音楽家に
- 以前の音楽って「縦線、横線」を揃える事が上手さだった
- 今の音楽は歌も、楽器もジャスト過ぎて面白くない、、
- 音楽の楽しみ方の一つ「呼吸、間」を楽しむ。
- 歌舞伎役者の見得に音楽の奥深さが潜んでいる
音楽ソフトのおかげで誰でも音楽家に
実は最近の楽曲制作スタイルは、音楽制作ソフトの性能が物凄く発達してきていて、誰もが簡単に音楽を作れるようになってきているんです。
例えば、こんな感じ、、、、
- 全く音楽の知識が無くても
- 楽器を演奏する事が出来なくても
- 歌を歌う事が苦手でも
音楽ソフトさえあれば簡単に音楽を作ることが出来る時代になってしまいました。
誰でも簡単に音楽が出来る…そういう時代になり、誰もが自分の好きに音楽作れる「夢のような」時代になりましたね、、。
以前の音楽制作はレコーディングスタジオが無いと出来ない…商品レベルのクオリティを追求すると、一日50万円くらいするレコーディングスタジオを何日もレンタルしなければいけなかったんです。
ところが今はトミー爺の部屋でも簡単に作ることが出来ます、、笑い。
ここでクエスチョン?
昔と今のミュージシャン、音楽制作者の違いを書くと
- 以前は楽器を演奏してセッションしながら音楽を作っていた
- 今は楽器を演奏できない人でも音楽ソフトで音楽が作れる時代
以前の音楽って「縦線、横線」を揃える事が上手さだった
トミー爺が音楽を始めたきっかけが「吹奏楽」。
吹奏楽の上手さのポイントは大きく分けるとこの二つ
- 楽器同士の演奏の縦線がそろっている
- 演奏の音程、チューニングがピッタリと合っている
この2点です。
全日本吹奏楽コンクール決勝大会に出てくる学校って、全員、生で演奏しているのに演奏の縦線、チューニングがピッタリ合っていたんです。
これってすごい事だったんですよ。
トミー爺の高校はトミー爺の代に旭川市の代表で北海道大会まで行ったことがあるけど、今考えると縦線は何とかあっていたけど、チューニングが甘々でした。
バンドもそうですよね、最初の頃は楽器同士の演奏の縦線を揃える練習をしたりしますね。
もちろんピッチ、チューニングも必要です。
そう考えると音楽の基本はアンサンブルという事になるのかな?
ところが今の音楽制作の現場では、パソコン一つで簡単に完璧なアンサンブル、色んな楽器のアンサンブルを作ることが出来るんです。
初心者でも理想的な音を作ることが出来る時代。
この30年強で物凄く進化した事になりますね。
今の音楽は歌も、楽器もジャスト過ぎて面白くない、、
今の音楽って何でも「ジャストすぎるんです」。
特にボーカルなんか、、どれも完璧な音程、リズムでしょ、、
だってCD音源ではリズム感が悪く、歌の下手な歌手っていないですよね、、、
あれって音楽ソフトでボーカルのエディットをしているんですよ。
今、巷で流れているポップス系の歌はほぼ歌の修正をしています。
パソコンの画面で歌の音程、リズムのずれを修正して、完璧な歌として世の中に送り出す事が出来ます。
ただし、このエディットにも歌や声質が機械的にならないようにする高度な技術が必要なんですが、、
一昔前は「ボーカルエディット」ではなく「ボーカルセレクト」、つまりボーカルにマルチテープの何チャンネルかをボーカルチャンネルとして残して、歌手はうまく歌えるまで何回も歌いました。
ちなみにビートルズの時代は4チャンネルのシステム、、トミー爺も最初に見たヤマハのスタジオには4チャンネルマルチテープレコーダーが入っていたな、、、
ちなみにチャンネルは下記のように分けていた…
- オケのL
- オケのR
- ソロ楽器
- ボーカル
歌が1トラック、1チャンネル使うとなると、歌手の人は録音の前に必至で練習していたのだと思います。
だから歌は上手くなりますよね。
しかし今は極端な言い方をすると歌手はスタジオに来て数回歌って、あとはエンジニアがボーカルのエディットをしてOKトラックを作り上げる。
こんな感じに状況が激変しています 。
音楽の楽しみ方の一つ「呼吸、間」を楽しむ。
トミー爺の持論は「音楽はルーズな方が良い」と思っています。
音楽って広い意味での「間」を楽しむもの、、音楽は聞き手と演者側の駆け引きの面白さに尽きる…と勝手に思っています。
そのキーになるのが「呼吸」です。
聞き手も演者のみんな呼吸していますよね。
その呼吸はリズムに繋がります。
そのリズムを良い意味で裏切る行為によって感動に繋がって行くと思っています。
以前仕事をさせてもらった尾崎豊さん。
彼の「Birthツアー」で仕事をさせてもらったのですが、そのセットリストの中に「太陽の破片」という曲があります。
その曲の終わりに尾崎さんが「夕べ眠れずに、、」、、「夕べ眠れずに、、」とささやいて無音になる所があり、シーンと静まり返る横浜アリーナの観客。
そしてドラマーがその間を破って演奏すると、そこからエンディングになる…というシーンがあるのですが、この間って尾崎さん本人も、聞き手も、ドラマーの方も本当にその「間」を楽しんでいました。
音楽の醍醐味の一つだと思います。
歌舞伎役者の見得に音楽の奥深さが潜んでいる
例えば、歌舞伎を例にすると、歌舞伎役者が見得を切る所でお客さんは感動します。
でもおかしいと思いませんか?
だって見ている人の90%はここで役者が何をするのか知っている、、、知っているってことは「来るぞ、来るぞ」と構えているって事ですよね
普通、次に何が来るのか、、知っている事について驚きってないですよね、、
でも、お客さんは感動する。
ではここで何が起きているのか、、というと、多分、殆どのお客さんはそれぞれのリズムで「ここで、このタイミングで見得を切る…」と思っているのだと思います。
しかし、役者がそれを「いい意味で裏切るタイミングで見得を切る」
よし、、ここで来るぞ、、ほら、来た、、、、
と構えているお客さん。
しかし、役者はそのタイミングを少しだけ外すとどうでしょう、、
お客さんは身構えたタイミングを外され、完全無防備になっている所で見得を切られるために「〇〇さま、、、って」感動してしまう。
もう一つ例を挙げると、友達と向かい合って「さあ、脅かすよ」って言って脅かすのと、後ろから不意をついて脅かすのと同じ。
前者はお客さんが自分のリズム、タイミングで待ち構えている、、、
後者は全く予測していない所で脅かされる
これと同じだと思います。
話を歌に戻すと、歌手は「1.2.3.4」と聞き手がリズムをカウントしているジャストのタイミングで歌いだすとします。
これはあらかじめ予測しているので感動は薄い、、、
しかし、そのジャストをほんの少し前、ほんの少し後で歌いだすとどうでしょう、、、
聞き手は不意をつかれて驚きますね。
この驚きが感動につながる要素だと思いませんか?
音楽も、落語も、漫才も、同じだと思います。
そんな武器を持っていた音楽がきっちりとしたものになってしまうのはもったい無い気がします。
どうでしょう、、、
僕らは二つの選択肢を持っている
トミー爺がアレンジャーの事務所で働き始めた時、生の演奏の時代から打ち込みの音楽に変わる分岐点の時代でした。
当時、バブルも崩壊して音楽制作の予算が減りだした頃、その時に予算内で制作する為に「ドラムやベース、キーボード」は打ち込みで…という風に変化してきました。
ただ、それだと音楽が機械的になるので…
という事で、ドラムの打ち込みデーターに「ハイハットだけ生で演奏」させるとか、、ドラムは打ち込みでベースは生で…
みたいな工夫をして音楽制作していた記憶があります。
どんな環境、時代になっても「人のアイデアで色んな可能性を広げることが出来ます」。
それが出来た時に、あなたは「時代の先駆者」に成れるかもよ!!
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