作詞家,作曲家になろう!さくなろ道場

作曲家、作詞家を目指す君へ。現役マネージャーが教える作品創りのコツ、裏ワザ、一般常識などなど…誰も教えてくれなかった情報満載です。

若きトミー、名刺の肩書「子分」から「社長の片腕」に出世する、、の巻き

さて若きトミーのドタバタ人生の続き、この記事は「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」に連載されたのを「さくなろ道場」用にリライトした記事です、あの時に紹介できなかったあんな事も…。


人生なかなか上手くいかなく、もがいていたトミー青年にあるディレクターから神のような一言が…「トミー、OTくん知っているよね、彼が新しく作家事務所を作るので手伝ってあげてくれない?」そしてトミー青年、何も考えずに「いいですよ」と答えてしまった。

これがその後の人生に大きく舵を切った瞬間、怒涛の人生のスタートでした。

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トミー青年、株式会社ロックオンカンパニーのスタッフになる

この会社、通称ロックオン、、(ただし、楽器屋さんとは違う作家事務所)に入ったは良いが、そこに所属している人が凄い人たちってことは、その当時全く理解できていなかったトミー青年、、恥ずかしながら…笑い。

【会社の概要】

1988年
創業 レコーディング制作、プロデューサーマネジメントを始める。
同時にロサンジェルスにロックオンアメリカ設立。積極的に海外録音を行う。数多くのメジャーアーティストのレコーディングに参加。

メンバー:大村雅朗清水信之中村哲西平彰、西本明、飯泉俊之
Tsukasa、後で、松本晃彦山川恵津子佐藤隆、水島康宏、加入。

1994年
プロダクション業務開始
森俊之 加入 樋口了一 作家加入

1996年
河野圭加入。
1998森俊之とともに宇多田ヒカルのレコーディングに参加

        ー(株)ロックオンカンパニーのサイトより抜粋ー

立ち上げメンバーの凄さが分かったのは会社が出来て少しして、キックオフパーティーをすることに、焼き鳥屋さんの個室を借りて「ガンバロー」ってやったんですが、そこにUSENが流れていて、そこで流れる曲の八割が今ここにいるメンバーの作品だった、、これってすごくないですか?

 

そんな中に駆け出しスタッフとして参加できたわけです。

とはいえその中で一番経験が無かったのもトミー青年だったのは確実、笑い。

ちなみに1996年に加入した河野圭くんはそこから数年後に宇多田ヒカルさんの「Automatic」で大ブレークする、、


彼以外にも当時の音楽シーンの中心で活躍するメンバーばっかりですよ。

スタジオ廻りで最初に紹介されたギタリストがあの、、、

右も左もわからないトミー青年、とりあえず社長のOTさんとスタジオ廻りをすることに…そこで色んな人に紹介されたり、色んな会話をするのだけど、最初に紹介されたミュージシャンがギタリストの今剛(こん つよし)さん。あのスタジオミュージシャンのトップクラスの人、レコードのクレジットで何度も見ている人が目の前に…

「コンちゃん、彼、今度一緒にやるトミー、彼は優秀だよ」

「トミー、よろしくね!コンです」


こんな自然な会話ビビりまくったトミー青年、、確か音響ハウスの1stロビーだった記憶が…

その後もクレジットでしか見たことが無いミュージシャンたちと一緒に仕事をすることに、そして後日そんな超一流メンバーの演奏に良いとか好きとか言っている自分がいるって、この時はまだ想像すらできない…

ロックオンはマンションの一室、何も無い一室からスタート

最初に事務所を借りたところが六本木のマンションの一室、まだ机も運び込まれていない状況で、一緒に働くことになったM子ちゃん、彼女はそれまでバリバリのスタジオマネージャーだった、、

何もない床にファックスが入っていた段ボールを机変わりに、電話は床に直置き状態での仕事スタート。

床に座ってそこで手帳を広げて電話を取る「ハイ、ロックオンです」、、これが一番最初、ロックオンカンパニーのスタートでした。

それでどんな仕事をしていたかというと、担当プロデューサーのスケジュール管理とそれに関連する打ち合わせ、その時期に有名アイドルグループのメンバーのソロ活動のレコーディングを請け負っていたのでそのプロダクトマネージメントが主な仕事。

 

それを3人で切り盛りする事になった。

 

ロックオンに参加しているプロデューサー達ってみんな第一戦で活躍している人たちばかりなので、毎日スタジオワークをしていて、それに関する日程調整やミュージシャン、エンジニア、スタジオブッキングなどを取り仕切る仕事がメイン。

 

そしてスタジオワークって日々状況が変化するので、必ず夜、スタジオに顔出してメンバーと問題ないか?を打ち合わせし、その場で解決できる事は夜中でも動く、あとクライアントと全体流れの確認などする、、当時「ロックオンのスタジオ巡業」と言われていたらしい、、笑い。

当時のレコーディングは13時スタートで大体が深夜25時、26時ころまでやっていたので当然トミー達の帰宅は深夜深い時間が当たり前になっていったんです。

 

若かったからできたのかもしれないですね…

 

トミー、肩書好きにしていいよ、じゃ「社長の片腕 トミー染川」で

そうそう、その時の名刺なんだけど社長のOTさんに「トミー、肩書だけど好きにつけて良いよ」と言われて、それまでの名刺が嵐さんの所で「子分」だったので、そこは目立つ事を優先して、、つけたのは

社長の片腕 トミー染川


これは大うけだった、大会社の社長さんからは「トミー、どっちの腕?」なんて名前と顔を覚えてもらうことが早かった。

 

電話でも「社長の片腕、いる?」なんてかかってきたこともあった、、笑い。

 

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新米トミーは西平くん、西本くん、作曲のTsukasaくんの担当に

最初に担当したのは「西平彰くん」「西本明くん」「Tsukasaくん」をメインで、それ以外のメンバーも必要な時にサポートしていくことに…

 

西平くんは、当時売れっ子のプロデューサーでトミーがロックオンに所属した当時名前を知っていたのは彼だけだった、確か当時は平松愛理さん、鈴木祥子さんなどを担当、その後は氷室京介さんのライブ、レコーディングで大活躍の人

 

西本くんはピアニストとして佐野元春ハートランドのメンバーだったけどプロデューサーとして活動する為にバンドをお休み、プロデューサーとしてこれから活動していくスタートの時期。

 

Tsukasaくんは以前から一緒にやっていた流れでロックオンにも加入、のちに鈴里真帆さんのプロデュースで活躍。後日ロックオンを離れてから、ジャニーズの嵐「時代」の作詞作曲、編曲で大ブレークをした。

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プリプロダクションをレコーディングに取り入れたのも革命だった

それと今、当たり前に使われている「プリプロダクション」(通称、プリプロ)を最初にレコーディングに導入したのもロックオンが最初だったと思う。

 

当時のレコーディングってスタジオにミュージシャンを集めてベーシックレコーディングをして、その後にギターなどをダビングしていく…というのが主流。


今と違って当時のスタジオ代は最低でも一日40万から50万くらいの費用が掛かっていた。あの時代、今のようにPCでレコーディングはできなかったので、すべてスタジオを使った作業をしなければいけなかった。


トミーが所属していたロックオンってアメリカにもロックオンアメリカという提携会社があった。現在ネーチャーサウンドリエーターとして活躍しているジョー奥田くんが社長として日本とアメリカのレコーディングを橋渡しする仕事をしていた。

当時、海外レコーディングが盛んでロックオン自体も海外レコーディングを積極的に推進していて、その流れで日本にアメリカRECスタイルを導入するアイデアが生まれてきたんですよ…

そこにはある理由があるのですが、、、

 

プリプロでメンバーに仕事しやすい環境を作れ

当時の所属メンバーは時間をかけてスタジオワークをしていて、イコール予算との板挟みでトミー達、マネージャーが必死にクライアントと折衝していて、何とかそれを打開できないか…と日々奮闘していました。

編曲家の作品クオリティをキープする為には時間と予算がかかる、、でも予算が足りない…そこで考えたのがプリプロダクションの導入。

「トミーさん、今回予算があまりなく何とか協力してもらえませんか?」

つまりギャラを安くしてください。という事なのでそれはできないのでこういう提案を

「じゃ、本RECの前にプリプロをさせてください。スタジオ代も安くできるし…」

こんな会話をしながら担当プロデューサーの仕事と環境を守る事に必死…

 

当時のアメリカではプロデューサーやアーティストが自分スタジオでレコーディングをして必要な時に外部スタジオを使うスタイルが定着して、又は数か月間スタジオをロックアウトで貸切って「まとめて長期で使うから安くして…」こんな方法で予算を圧縮していた、、その中でプリプロという作業が効果的という事でそれを日本でも導入するように働きかけた時期でした。

 

プリプロはシンセのマニュピレーターとプロデューサーが小さいスタジオで作業をして曲のアウトラインを作りこむ、そしてそれをスタジオに持って行ってレコーディングをしていく…この方法だと一日4~50万かかっていたスタジオ代金が一日10万くらいに圧縮できる…


同じ予算の中で1日しか使えなかったスタジオが2~3日使えるようになる、、

良い方法だと思いませんか?

 

当時、プリプロ?なにそれ?って感じだったけど、徐々に浸透していったのも記憶があります、、下で紹介する伊豆田くんのアルバムも全曲日本でプリプロをして、ガイドラインを作ってからLAでレコーディングしたんです。

 

今だったらHDでデーターを持っていく…という感じだけど、当時はそんな物無かったので、、どうしたか…それはアナログのマルチに全曲録り込んで、それをトミーと西本くん、そして伊豆田くんの3名が飛行機に持ち込みLAまで飛びましたよ、、めちゃくちゃ重かった

 

まだまだ続きます、、

 

今日のお薦めの一曲

当時、西本くんとジョーと一緒に作り上げた伊豆田洋之くんのアルバム「クラブトランプス」の中の一曲「アルゴ」すごく良い曲、いい風が吹いてくる感じ…

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旅日記 還暦親父の諸国漫遊記

横浜銀蠅「嵐」さんの一言で「トミー染川」誕生する、、の巻き

「旅日記 還暦親父の諸国漫遊記」で連載?させて貰っている若きトミーのドタバタ人生、リライト、さくなろ道場バージョンです。

人生なかなか上手くいかないですね、、特に作詞家、作曲家を目指しているみんなは出口が見えない迷路にはまっている感じでシンドイ人も多いのでは?

でもこんな負け続け親父がいた、、そして何とか今でも頑張っているので何とかなりますよ、、諦めないで続けていさえすれば…今回のブログで紹介するある人の歌にもあります。「答えが出ないから人生だと…」いい歌ですよ。

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とにかくガムシャラに突っ走るもダメダメ人生は続く

和田加奈子さんの「夏のミラージュ」でTくんの作曲家デビューはヤマハを退職して2年くらい後の話…それまでは、とにかくガムシャラに働きました。

ヤマハ時代にやっていたPAの仕事、音響スタッフをやりながら作曲家Tくんのプロモーションに明け暮れる毎日が続き、幸いにも仕事の声をかけてくれる仲間もいて助かったんだけど、確かそのころも目標として月30万稼ぐ…これを目標にしていた記憶がありますよ。

確かあの時代フリーのPAとか舞台監督のチーフクラスのギャラが本番一本5万くらいだったかな…でもトミー青年、下っ端クラスなので本番1~2万くらい。

下っ端クラスのトミー、通年通して仕事があるわけではないのでアルバイトを掛け持ちして日々食いつないでいたって感じでした。
 

そうそうそんな時にあの人に相談したんです。 

 

染さんお前顔も濃いから名前も濃くしなよ…トミー染川の誕生

ここで登場するのが横浜銀蝿の嵐さん、そのころの銀蝿って飛ぶ鳥落していて、日吉をやめてからは年に2回くらい事務所に遊びに行く感じの付き合いでした。


横浜銀蠅との馴れ初めは

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まったくの素人マネージャーがレコード会社に電話しても話なんか聞いてもらえない…相手にされない日々が続きました。

確かデモを郵送する時に封筒にデカく「ヒットする曲在中」って書いて送ったこともある、笑い。

 

そのくらい目立つために何でもやった、、、
 

しかしそれも限界があり、そこで嵐さんに相談したら「だったら染さん、俺の所で働いて人脈増やしてみれば…」と言ってくれて、嵐さんの事務所のスタッフとしても働くようになったんです。


そのころ何でもやっていたから二股でなく六股くらいの仕事量だったかな?

ある日嵐さんと打ち合わせをしていて

「俺の所のスタッフでパンチってやつがいて…」みたいな話になり、どうやらそのパンチさんは派手な名前にしたら仕事が広がったらしい…
 

「染さんも顔濃いから、名前も濃くしなよ…」

下の名前聞かれて「トミカズ」って答えたら「ソメカワトミカズ」どっちが苗字か名前かわからない…みたいな話で一緒に名前を考えてくれたんです。

 

そこで誕生したのが「トミー染川」。
もう一つの候補が「サムソン染川」、、でもボツに…笑い

そして名刺を作る話になり、肩書が必要だな…という事で、嵐さん曰く「俺が社長、トミーがそのアシスタントだろ、、俺が親分で、トミーは・・・・・」

 

そしてできた名刺が
 

子分 トミー染川


ということになった、案の定、名刺交換ではその肩書、名前で盛り上がる…そしてびっくりしたのが今まで相手にされなかった業界の人たちも
 

嵐さんの事務所の子分、トミー染川です。
 

って言ったら「どうもどうも…」みたいに今までの仕打ちは何だったんだ…って感じで接することが出来るようになったんですよ。

 

事務所の肩書ってすごいですね 。

この時は肩書きがある事でメリット感じたけど、それから10数年後に逆の経験もする、、それは後で紹介しますね、、

 

トミーの年収120万、税務署スタッフから「どうやって暮らしているの?」

嵐さんの事務所では人生初の「有線放送所」回りをやった、事務所所属のバンド「ストリートダンサー」というちょっとビートルズっぽいテイストのバンドがいて、その新曲を有線放送所に行ってレコードをかけてくれるように営業する仕事をしたな…

 

関東近郊にある放送所は全部回った…放送所には有線嬢がいて営業に行くとその場でかけてくれる、、そのうちの何回かは、リスナーさんから「今の曲は誰のですか?」なんて問い合わせが来たりする、、、うれしかったね!


嵐さんの所で半年くらい丁稚奉公をしながら作曲家Tくんの営業も並行していった、二人の頑張りもあって和田加奈子さんのCDで少しづつ採用され始め結構成果が出てきた時期に、、ある出来事があり嵐さんの所を退所することに。

当時、トミーも結婚して家庭を持つようになり、余計にお父さん頑張らなくては…と言う事で音楽の仕事、アルバイトなど複数こなしながら頑張っていたけど、最初は本当に収入無くて、確か年収120万くらいだったかな、、夢ばっかり追っていたからね…

税金の申告(確定申告)で税務署のスタッフからこんな質問が

「トミーさんはどうやって暮らしているんですか?」
「ハイ、女房に食わせてもらっています。」
「頑張ってくださいね」 

 
今考えるとよくあんな時期に結婚したよな…笑い、、、と思ってしまいますよ。

そんな時期に母親の具合が悪くなり、イコール今以上に頑張って働かなくてはいけなくなったんですよ。

嵐さんに相談したら「わかった、御袋さん大事にしろよ」って背中を押してくれたのが凄くうれしかったのを思い出します。

横浜銀蠅40thファイナルコンサート行ってきました

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その後母親は無事に回復し元気になった、、しかし、トミー青年は相変わらず超低空飛行の毎日、、トホホ、、、

 

そうそう、丁度この頃だったかな?カミさんとファミレスで食事してたら日吉時代のバンド仲間が入ってきた。

 

向かうもこっちに気がついてくれて「久しぶり、今どうしてる?」って聞いたら

「尾崎やってる」という答えで、てっきり尾崎紀世彦さんのことだと思ったけど勘違いで尾崎豊さんのことだった、笑い。

 

後で知ったのだけど彼達が尾崎さんのバンド「ハートオブクラクション」だった。

 

トミー爺もその後に尾崎さんの最後のツアーとアルバムで仕事させてもらうことになるなんて、この時は夢にも思って無かった、、その話はどこかで紹介しなくちゃね

 

トミー、〇〇くんが事務所を作ったんだけど手伝ってあげて

そんな中、世の中上手くできていますよね、、仕事仲間のディレクターからあるお誘いが…


「トミーさん、OTくんが独立して作家事務所を作ったんだけど手伝ってあげて」

その時、お金になるんだったら何でもやってやろう!という姿勢のトミー青年、何も考えずに「いいですよ!」と即答。

家に帰ってからカミさんに事務所に誘われた…って話したら

「よかったね、ところで給料なの?いくらもらえるの?」

そういえば、そんな話は一切なく、固定給もらえるんだったら今よりも良いか?

くらいにしか思っていなかったな、、、のんびりした性格ですね。

今まで負け続けていたトミー青年がここから巻き返しに転じる、、続きはこの次に、、

 

今日のお薦めの一曲

実はトミー爺の音楽観が一変した曲がこれ!「宇宙のファンタジー」このバンドのライブを武道館に見に行って「ショー、エンターテインメント」としての音楽の重要性に気がつかせてくれた曲です。


www.youtube.com

 

お薦めの一枚

作曲家だったら必聴のアルバム。今から40年前の音楽、今聞いても全然古くない。このグループのリズムグルーブが凄い!どうやったらこんなグルーブが出せるのか?研究してみてください。 

アナログ盤もぜひ聞いてみるとCDと全く違っている音の世界を堪能できるかも 

 

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トミー爺の還暦いろいろ旅 徒然なるままに

作曲Q&A 多種多様な人がデモ聞くって?

お疲れ様です

お元気ですか?

 

さて「作曲Q&A」今回は「作曲デモは色んな人が聞いて評価される」ということについて考えてみましょう。そしてお馴染みの作曲家志望の坂本一番ことチャンプ坂本くんに登場してもらい、トミー爺に強烈な質問を浴びせてもらいます。

 

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トミーさん、デモが色んな人に聞かれ評価されるってどういう事?

チャンプ 「前回のブログで話てくれたイントロの件、なるほどそうなんですね、」「イントロって大事なんですね、、納得しました、、なるへそ、、、」「ところでいくつか質問あるのですが、覚悟は良いですか?」

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覚悟ときましたか、、、さて質問ってどんな事でしょう、、、?

チャンプ 「作曲家のデモが沢山の人に聞かれて…と言う所まで分かります」「でもクオリティの良いデモを作らないってどう結びつくんですか?」

 

チャンプくん作品アニメ主題歌に決定、でもそこに無理難題が…

そうそう、チャンプくんの言っているのも分かりますよね、、ではTVアニメの制作現場を例にとって説明してみましょう。

例えば、チャンプくんの作品がテレビアニメの主題歌決まったとします、あくまでも仮定です、、喜んでいるのもつかの間、担当プロデューサーからメールが入りました。

いつもお世話になっております。

○×テレビの×○です。この度、坂本さんの作品が春から放送のアニメの主題歌に決定しました。つきましてはアレンジされたフルサイズのカラオケを大至急制作し当方に送ってください。

 

サイズですがイントロから1サビ終わりまでのタイムを90秒以下のフルサイズの構成でお願いします。そしてデモのキーですがトップをB♭に調整お願いします。

よろしくお願いします。

やったね!チャンプくん、アニメの主題歌おめでとう!!

なんて言っている場合じゃないね、、大変な注文じゃないですか?


「えーこれ、僕が作るの?」とチャンプくん、思わず空を見上げてしまいました。

でもこれって

 

音楽ビジネスのスピード化が作曲家デモのクオリティを押し上げる

なんでこんな事になったのでしょうか?

その原因の一つに制作スピードが速くなったことが要因として挙げられます。

 

以前は、主題歌に決まったらアレンジャーに発注、作詞家に発注、デモを作ってアニメの制作会議に備える…みたいな流れだったのですが、今はそれが短縮されてきています。

アニメのオープニング映像制作を例にして説明しましょう。

 

アニメのオープニングで流れる映像って音源ありき…なんです。

つまりレコーディング終了、完パケの音源に絵を合わせていく必要があります。そうするとできるだけ早く完パケ音源が必要になります。秒、フレーム単位で合わせていくから実際の音源が必要。

 

だからアレンジ発注、レコーディングしている時間が無い…ということで白刃の矢が作曲家に向けられます。そして仮歌も実際に歌う歌手、又はそれに近い仮歌さんで歌録音、もっと言うと詞も大至急必要になります。そして完パケ、ミキシングされた状態の音源での作業がベストになります。

 

その為に作曲家にフルサイズのカラオケだったり、アレンジの要求がされるんですよ。
もっと言うと詞も作曲家が書いたり、デモに入っていた作詞家が書いた詞がそのまま採用になったりします。

それともう一つ、歌手側にも理由があって早く音源が出来上がればそれだけプロモーションがしやすくなったり、プロモーションビデオの制作もできるようになりますよね。

 

とにかく作曲家にはスピード&クオリティが要求される時代なんですよ。

 

ただ、これを逆に負担と考えるか?チャンスと考えるか?それは作曲家側の考え一つですね、、だって上手くいけば作曲だけでなく編曲家として活動もできるし、編曲料としてギャランティも貰えるようになります。

 

さあ!さあ!さあ~! なただったらどうします。

 

そしてプロデューサーの依頼メールにあったワンコーラスの長さとキーについては後日、詳しく

 

お薦めの一枚

以前一緒に組んでいた作曲家Tsukasaくんが書いた嵐の「時代」。この曲は彼が作詞、作曲、編曲まで1人で頑張った楽曲、以前NHK紅白歌合戦にも登場した、、凄い

 

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作曲Q&A デモの聞かれ方は時代とともに…

お疲れ様です。

お元気ですか?

 

さて、作曲家志望のチャンプ坂本くんがトミー爺の事務所で雑談中、、なにやら色々と質問攻めしている様子です。

 

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その昔、編曲は作曲家がやっていた…

トミーさん、なんで作曲家がデモアレンジをしなくてはいけないんですか?

だって作曲家はメロディを作るのが仕事でしょ、、、

 

トミー爺 「チャンプくん、だね、、でも昔は作曲家が編曲までやっていたんだよね」

 

チャンプ 「そうなんですか?それがいいな…」

 

NHK朝ドラ「エール」って見ていましたか?

あの古関 裕而さんが主人公のドラマ、その中で作曲家はデモではなく「楽譜」をレコード会社に提出してシーン覚えていません?

そうなんです、あの時代は当然自宅録音など全く考えられない時代ですから、作曲家は楽譜を書いて提出していたんです。

でもある時期に作曲家は時間が無いので弟子に編曲を任せるようになった…それが編曲家が生まれた背景だったようです。

 

編曲家全盛の時代1970年~1990年、そしてDTMがその流れを変えた

そして1970年以降、職業アレンジャーが大活躍する時代に…トミー爺がロックオンで働いていたのもその時代、、それからMTR(マルチトラックレコーダー)が台頭してきて作曲家はMTRを使ってデモを作る様に…

 

そしてパソコンの普及とともにDTMDAWと呼ばれる音楽ソフトが大流行、初心者でも自由に使えてデモを作れる時代に…

 

ということは以前の作曲家が編曲をやっていた時代に逆戻りしたって事かもしれませんね

 

チャンプ 「なるほど、、そういうことだったのか?」

トミー爺 「そうだね、、元の鞘に戻ったって事だよ、、」

チャンプ 「でもですよ、、作曲家に求めすぎじゃないですか?」

作曲家はたくさん勉強しなければプロ活動は厳しい…


DTMの発達でスタジオを使わなくてもレコーディングできる環境になり、世の中で音楽が売れなくなったのが引き金になりレコーディング予算が以前の1/10くらいに減った

 

イコール作曲家のデモをそのまま完パケまで持っていかなくてはいけなくなった…

 

ということで作曲家に比重が掛かってくるとプロとして活動するためには日々の勉強が必要になってきたということですよ。

 

チャンプ 「トミーさん、じゃどうやって勉強するの?」

トミー爺 「それは今度またブログで紹介するよ、、果報は寝て待て…じゃ」

チャンプ 「何が、じゃ、ですか、、頼みますよ、ぜったいですよ」

本日のお薦めの一枚

この映画、音楽がめちゃくちゃ良い!超お薦めの映画です

 

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作曲デモ、イントロ、アレンジが採用率を上げる大きなポイント

さて今回は作曲デモ作りの最大のポイントの「イントロ」がデモの印象を決定付ける…そんな話を一緒に考えてみましょう。

 

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作曲デモの聞かれ方…時代とともに変化してきている

実はトミー爺の持論としてイントロは簡単に…と言い続けてきた時代があったんです。ちょうどSong Bankを始めたあたりかな…その当時、曲の採用を決定していたのがレコード会社のディレクター氏で、ほとんどの人が「メロディが分かる程度のデモでいいよ…」という感じでした。

当時はイントロとかのアレンジ、サウンド作りは編曲家の仕事でいい感じに分業出来ていたんです。編曲家が作曲家の考えたメロディに対して編曲という役割で色付けしていく…


だから作曲家の仕事はメロディを考える、デモは曲の概要が分かればそれでOK、、そんな時代でした。

トミー爺、個人的には今でもそう思っているのですが、でも時代とともに作曲家が作るデモの役割が変わってきたのは事実です。

限られた人がデモを聞く…から多種多様な業種の人がデモを聞く時代に

実はディレクター氏が曲を決めていた時代は、曲の決定権のトップがレコード会社のディレクターで、その人が関係者に対してその曲のビジョンを語り具現化していきました。

そしてCMやドラマのタイアップが決まった場合、その時点でアレンジャーに発注、ある程度レコーディングされたデモを会議で聞かせる…そんな流れだったのです。


でもそれから時代が変わってきてタイアップが決まるタイミングが早くなり、その為に作曲家が作ったデモを聞かせるしかなくなり、そのおかげで作曲家への負担が増えていったのです。

また以前は作曲家デモを聞きなれた人が曲を聴いて判断していたのですが、昨今ではそれ以外の一般企業の担当者が曲を判断する時代になり、その為には「これはデモだから…」という理屈が通用しなくなってきたんです。

 

作曲家のデモアレンジが曲の生死を決定する時代に…

そうなってくると作曲家がしっかりとデモを作らないといけなくなり、そうして今回の記事タイトルとにもある「イントロ」の重要性が出てきました。


つまり一般企業の人達って作曲家デモを聞きなれていない…だからそこから聞こえてくる音源を聞いて判断する事になります。

 

そこで一番大事なのが「イントロの作り方」です。


ここで「オーいいね!」と思わせられないとダメな時代に、もっと言うとそのデモアレンジと完成バージョンのアレンジや方向性が違っているとNGになる時代になりました。

 

だから作曲家も勉強が必要な時代になってきたということですね。

 

アレンジ能力はどうやって磨けばいいの?

正直なところ最短の道はないかな…あるのは過去の諸先輩たちが通ってきた道、つまり好きな音楽やカッコ良いと思える音楽を真似ることからスタートしてするしかないと思います。

この道が回り道に見えますが実は一番早く確実な方法だと思います。

 

とはいえもっと早くできる道ってないの?って意見が日本中に湧きあがってくる?

そんなわけない、、、笑い。

 

一つの案としてDTMソフトに付属しているドラムやリズムのループ素材ってありますね、、まずはメロディを作ってそしてループ素材を曲の長さ分貼り付けてみてください。

 

そしてコード系は白玉で良いので仮コードを入れてみる、、たぶん、こうするだけで全体の流れが出来ますね、、それからブラッシュアップしていく…たぶんある程度形にはなるはずです。

 

そうすると形が見えてくる…ということは自分のイメージと鳴っている音源の違いも具体的に分かると事になりますね、、その違いを埋めていく作業と勉強が必要だということです。

 

まずは、考えずに一度作ってみる…ぜひチャレンジしてみてください。

 

今日のお薦めの一曲

オーストラリアが生んだデュオ「エアーサプライ」彼らのメロディ、アレンジとっても勉強になります。ぜひ聞いてみてください

Forever Love: Greatest Hits (Arg)

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若きトミーの人生航路2 もう上なんか見る気力が無いくらい負け続け

横浜市日吉にある「ヤマハ日吉センター」でアルバイトする事になったトミー少年、約7年ほどここで働くことに、、、そして、ここで将来につながる色んな人たちと出会い色んな経験をすることになったんです。

 

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こいつらには勝てないわ、、俺はスタッフとして生きていく

さてヤマハでどんな仕事をしていたかというと5部屋あるリハスタジオの運営管理。

エレクトーン教室の建物内楽器移動。研修ホール(収容は200名)会議用スペースに簡単なステージとPA装置常設、そんな総合施設のスタッフとして働いていました。
 

当時ヤマハポピュラーソングコンテスト(略してポプコン)やバンドコンテストのEAST WEST(関東甲信越エリア)を開催していて、日吉センターは横浜の中心的な存在。プラスセンターの外周に無料駐車場もありミュージシャンが集まってくる拠点。

 

実は、トミー少年、「俺はやれる!」そこそこ思っていたのですが日吉に集まってくる人たちはとんでもなくレベルが高かった、、、

 

まず友人に連れられて初めて日吉センターに行ったときに、ホールで高校生バンドがライブをやっていてボーカルもうまかったけどギターの少年が信じられないくらいのテクニックだったんですよ、、

 

「うわー、なにこれ!!」って感じで、東京では高校生でもこんなレベルなんだ、、

ミュージシャンの夢あきらめて良かった…本当に真剣にそう思いました。

 

それもそのはずそれから10数年後にその時のギター少年と再会、なんと彼はその後世界遺産のテーマを担当する鳥山雄二くんだったんです。

 

リハスタ3時間予約して4時間練習する謎のバンド

日吉のリハスタって1時間単位の貸し出しで、前の利用者が終わってから1時間空けて次の利用者に貸し出す。
 

そんなシステムで、ある時から週2回くらい午前中3時間予約するバンドがあったんです。彼らは日吉のシステムを良く知っていて、というか研究していて、予約開始が朝10時からだったのですが必ず11時から14時まで予約するんです。

そして朝10時ころ来て、「染さん、スタジオ空いてる、、じゃ荷物を入れてもOK?」なんて言いながら10時30分ころにスタジオに入っていく、そして14時30分まで練習する、受付スタッフも見逃していたんですがなんと計画的に練習していたんですよね、、そのバンドは4人編成で雰囲気的に不良っぽい風体、でも話すと良いやつ…
 

そしてある日「染さん、俺たちデビュー決まったから…」と言ってきたので「おめでとう!」と言ったはいいが、、、ホントかな?80%は疑っていました。
 

ところがある日、いつもの様に来た彼らの姿が白いドカン、革ジャン、サングラスで現れたんです。街で出会ったら絶対目をそらす風体ですよね、、そう彼らが横浜銀蝿だったんですね、、イヤービックリしました。

 

それから現在に至るまで仲良くさせてもらっています。

 

そうそう、あとで書かせてもらいますがトミーの「トミー」って銀蝿の嵐さんにつけてもらったんですよ、、

 

きゅーぱんとトラバツわらの犬…深夜ミーティングは井田デ

あの頃日吉に来ていたミュージシャン、仕事始めた頃は「わらの犬」というフォーク4人バンドがいて衝撃でした。

彼らの作る曲、アマチュアが作る曲ってそれなり…だと思っていたトミー少年、ところが彼らの作る曲ってプロのそれと変わりないくらいいい曲ばっかりだったんです。

 

本当にこれが東京の実力か!と思いました。
 

あと「きゅーてぃーぱんちょす」というバンドがいて彼らもすごかった、演奏は上手かったし曲もすごくよかった…彼らは後に「杉山清貴オメガトライブ」として大成功するのですが、あの頃はみんな目がギラギラしていましたよ、、トミー青年も含めてね(いつの間にか少年から青年に成長!笑い)

あの頃は日吉センターの仕事が終わったらミーティングと称して近所にあるディニーズがたまり場になっていて、そこで朝まで色んな話をしました、、若いですね、、青春ですよね、、笑い。

 

何が凄いって曲つくりと歌の上手さ、、みんなとんでもないくらい…

実は日吉でアルバイト始めた時に最初に遭遇してしまったのが、デビュー前の渡辺真知子さんでした、、これって衝撃ですよ、、北海道の田舎育ち、井の中の蛙大海を…ですよ本当に、、、あの頃日吉センターに集まってくるミュージシャンたちはレベルが違っていて、特にすごいと思ったのは「歌の上手さ」と「オリジナル曲作り」のレベルが違う。


やっぱりあの当時はネットが無かったので音楽の情報は大都市にかなり集まっていたのかも、、ポプコンに関係していると九州エリア、関西エリア、東京でもいくつかの拠点ショップがあってみんなしのぎを削っていた、、良い曲が生まれてくるのは当たり前ですよ。


みんな音楽をスポンジのように吸収していたし、音楽を聞いている量が違っていた…それは上手くなるし、そしてライバルも多かったので追いつけ追い越せの良い循環があったんでしょうね…

さて、トミー青年の話に戻りましょう。

 

PA、RECエンジニア、舞台監督、企画構成、色々やったけど上手くいかない

さてトミー青年としては色んな仕事をやりました。しかし、何をやっても仲間に先を越されて、追い抜かされてしまう、、早い話、すべて中途半端。

 

自分自身、本当に悩みました、日吉の中ではある程度できるのですが、しかし、プロとして活動できるレベルでは自分としても無いと思うし、またヤマハの社員になる話も一向にない、、周りはどんどんプロデビューしているのに自分だけ取り残されて行く感じでしたよ、、本当に

そんな時に一途の希望が、、、
あるバンドがプロデビューの手助けしてくれないか…という話が、、彼らと一緒にプロへの階段を上がって行く…これは唯一自分のスタイルに合っている感じが、いやその道しかなかったかな?自分の進む道としては…

そうすると今まで中途半端と思っていたPAも舞台監督の仕事も頑張ってやれるようになっていって、でも本業はバンドデビューの手助けの仕事…みたいに割り切れるようになったんです。

そのバンドがTRY-Xというバンド、今のトミー爺の会社の名前になっている。

…で、あの当時TMネットワークが出てくる前、打ち込み中心でそれに加えて、ドラム、ベース、ギター、キーボード、パーカッション、ボーカル、シンセのマニュピレーター、というメンバーがいる、斬新な編成でした。

デビューの夢は破れて途方に暮れるトミー青年、作曲家のマネージャーに

TRY-X、結構いいところまで行ったんです、レコードメーカーの最終オーディションまで行ったけど、結局デビューかなわず…はっきり言って目の前真っ暗ですよ。

そしてバンド解散。

もう崖っぷちです、、夢破れてそして何もなくなった…って感じでした。


ただ、バンドのリーダー、T君が作曲家としてやっていきたい…と言う事で、その手伝うことにしました。というか、その選択肢しか無かったんです、上を向いて、前向きにやれることが 、、
 

やれることは全部やってみた…が結果が出せない日々が続く

まずはバンドで最後にお世話になったプロデューサーに相談、、しかし、運悪くそのプロデューサーが制作から宣伝に移動になった…どこまでついていないのか?

そして新しいプロデューサーを紹介してもらい、その人に会いに行きました。

 

おっかなびっくりですよ、デモを聞かせていると一言

「彼、T君、才能あるね…今、稲垣くんの曲集めているから何曲か聞かせて…」

 

と言ってくれたんです。


「彼、才能あるね…」この一言に大感激のトミー青年。

そうそう、稲垣くんというのは稲垣潤一さんの事でそのプロデューサーだったんです。

 

そこから二人で必死に食い下がりました。

しかし、それでもダメで、採用されず、、本当に挫折です。

作曲のT君も、トミー青年ももう立ち上がれないくらいにナイアガラの滝の上から真っ逆さまです、、

でもある日電話が鳴り、チャンスが訪れたんですよ、、

 

「T君って最近忙しい?アニメを歌う女性歌手がいるんだけど曲書いてみない…」

これは人伝えで面白い作曲家がいるってある事務所に噂が流れ、そしてその関係ディレクターから連絡が来たのです。

 

そしてついに作曲デビューがそれがアニメ「きまぐれオレンジロード」のエンディング曲「夏のミラージュ」。


www.youtube.com

 

夏のミラージュ

作詞 湯川れい子

作曲 Tsukasa

編曲 鷺巣詩郎

歌  和田加奈子

 

うれしかった…本当に…

 

これから色んな縁がつながっていくことに

 

こうご期待

 

トミーが推薦する今日の一曲

という事で今回は和田加奈子特集という事でこの3アイテム。非常に上質なポップスだと思います。ぜひ聞いてみてください。

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若きトミーの負け続けジグザグ人生航路~ヤマハ編~

お疲れ様です。
還暦親父の旅日記に書かせてもらった記事「人生はジェットコースター」を「さくなろ道場」、もう少し音楽、作詞、作曲の目線でリライトしてみようと思います。

はたしてどうなるのか?

お楽しみに…

 

この記事の内容は

 

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音楽少年19歳で北海道から26時間かけての上京編

実はトミー爺、北海道小樽生まれの旭川育ちなんです。
1974年ころだったかなクラシックのレコーディングエンジニアになりたかったトミー少年、どうせ目指すんだったら東京の日大芸術学部に入りたい…と思い、必死に勉強するも見事1浪。北海道で一人で勉強していても合格できない…と一念発起。

 

両親に頼んで東京の予備校に通うことにしたんです。

その当時飛行機なんて高くて乗れないので、当然電車移動。

今だったら旭川空港から一飛びで東京行けるのですが、その当時は特急移動、それも時間がかかる、、たしか、、

旭川~札幌経由で函館へ  9時間

函館~青森 青函連絡船  5時間弱

青森~上野        12時間

 

凄いでしょ、、それも列車はリクライニング無のボックスシート、約一日座っているんですよ。

 

おまけに3月くらいの移動だったので雪で列車が平気で2~3時間くらい遅れる、そうすると函館で連絡船に乗れない、当然、青森で乗る予定の列車にも乗れない…

 

今だったら考えられないですよね、、、とにかく大変だったんです。

 

2浪したトミー少年、スナックのママの一言で専門学校へ

初めての東京暮らし、確か調布の深大寺にアパートを借りて一人暮らしのスタート。

そこから予備校に一年間通いました。

 

一年間予備校で勉強したけど、日芸の壁は高く、結局その年も落ちてしまう、プラス、日芸しか受けなかった、滑り止めなんて考えられなかったんです。

 

エンジニアになる為には日芸受けるしか道はない…と思い込んでいたから3浪するしかない…そんなふうに思い込んでいたトミー少年に神様がささやきかけてくれたんです。

日大芸術学部って江古田って街にあって、受験した日にふらっと入ったスナック。

ここがトミー少年の人生を変えた場所、一言なんです。

 

「お兄ちゃん、日大芸術学部でてもだめだよ…」

 

確かこんな風な事だったと思う、その一言を聞いてなんか吹っ切れて、そうか別の道でエンジニアになろう…

 

なんか漠然とそう思い込んでしまった。

人生、方向転換する時ってそんな感じなんですね…

 

そして吹っ切れたトミー少年、上野にある放送系の専門学校に入る事に、これがトミー少年の人生を決定つける行動だったんです。

 

初めてのレコーディング実習はフェードイン、フェードアウト

そして入学したのが千代田テレビ技術学校「放送学科」というところ。

放送学科で音楽レコーディングについて勉強しようとして入ったけど、実際にやったのはフェードイン、フェードアウトの実習だけ。

 

でもあの当時のトミー少年には革命的な実習でしたよ、、、なんせ初めて音楽をミキシング?したんですもの…笑い。

 

そんな専門学校だったけど唯一良かったのは同級生、仲間。

 

当然、仲の良いグループが出来て、その中に今でも仲良くしてもらっている友達がいて、彼はヤマハ関係のバイトをしていたんです。

 

トミー少年、初めての音楽のバイトは武道館

人生を振り返ってみると本当に友人、仲間に恵まれていると思いましたよ。

 

専門学校(2年制)の1年の秋に声がかかったんです。

 

「染めさん、武道館で仕事があるんだけどやらない…」

 

武道館ですよ、、あの…

 

当時のヤマハポプコンポピュラーソングコンテストの略)をやっていて、その最終段階が世界歌謡祭でその歌謡祭の仕事があるっていうんです。

 

確か交通費しか出なかったと思うけど、お金なんかどうでも良いですよ。

音楽の仕事ができれば…そこでスタッフさんと仲良くなって…なんて考えていました。

 

その仕事というのが開場前に座席にチラシを置く仕事、そして開場になったらお客さんの席案内でした。

 

音楽の仕事では無かったのですが、トミー大満足でした。

ポプコンのトレーナーをもらって、歌謡祭のパンフレットももらった。

 

そうそう、その時のグランプリが中島みゆきさんの「時代」でした。
この曲はあとでリアレンジされたやつ 

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 こちらがオリジナルのCDバージョン 

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兎にも角にも この曲が世に出る瞬間を目撃したんです。

この曲は今聞いても完璧ですよね、、あの当時のヤマハのレベルの高さが聴き取れます、というよりも中島みゆきさんという人を世の中に送り出した功績、これが最大かもしれませんね、、

 

それ以外にもすごい人たちが、チャゲ&飛鳥八神純子因幡晃、サンディ、松崎しげる、、その人たちのリハーサル、本番を見ることが出来た。

 

中でもサンディは衝撃だった、あんなに歌が上手い人って世の中に居たんだってね

そこから5~6年後に再開するのですが、まだまだ先の話です。

染さん、日吉に新しくヤマハのセンターができるから来ない

確か1年生の終わりくらいだったかな?

 

ヤマハでバイトしていた仲間が「染さん、日吉にヤマハができるんだけど手伝ってくれない」って誘ってくれたんです。

 

神奈川県の横浜にある日吉という街、日吉と言えば慶應義塾大学がある所で有名。

 

そこにヤマハの音楽センターが出来て、エレクトーン教室、幼児科、バンド練習用のスタジオ、ポプコン用の録音スタジオ、小ホールがある施設でした。

 

そこのバンド練習スタジオを中心とした音楽センター全般での仕事。

 

断る理由ってなかったんで「いいよ!」って軽く返事をしたんだけど、その返事がその後の人生を変えるなんて今は夢にも思っていないトミー少年でした。

 

【予告】、、笑い。

 

ヤマハのセンターで働くことになったトミー少年。

のちの音楽シーンを塗り替えるような人たちと親交を持つことになるんです。

 

そしてこのへんから紆余曲折の人生スタートです。

 

と言いながら最初でお話しした作詞作曲の話って出てこなかったですね、、次は、、期待していて下さい。

 

今日のお薦め一枚

あの時に武道館で聞かせてもらった八神純子さんの作品ベスト

 

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