お疲れ様です。
少し前の記事で作詞、作曲に共通する「見えていて見えていないものを探せ」と題して書かせてもらいました。
今回はその続きで「習い事や修行は登山に似ている」と言うテーマで書かせてもらいます。意外と目から鱗かも…
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この写真、あんまり関係なかったかな?でも綺麗な景色なので良いか、、笑い。
修行は山道を登るようなもの…でも頂上には答えはない?
習い事とか芸の修行ってひたすら登って、そして頂上に着いたらそこに答えがある…なんて思っていませんか?
実はそうとは限らないんです。
さて、それを説明する前に勉強、修行って何のためにあるんでしょう…???
これって色んな考え方があるので一概には、、「これが正解だ!」と言うのは無いと思うけどトミー爺の自論でいうと「新しい世界を見るため」に日々頑張っているのだと思っています。
分かりやすくいうと一段高い所に立つことだと思います。
つまり今までいた所より一段高い所に立つことで、、今まで見えていなかった景色が観れるようになります。
つまり今まで気がつかなかった事、勉強して一段高い所に立てる事で見えなかった何かが見えるようになる、、、その為に頑張っているのだと思います。
それが以前書いた「見えていて見えなかったもの…」の正体です。
修行という山登りは山の頂上はゴールでは無い、、
勉強している時、修行している時って山の頂上を目指してガムシャラに登っていきますね、、でも山の頂上って実はゴールでは無いんです。
分かりやすく言うと「悟りを開く為のスタートライン」なんです。
「、、っえ?何で?山のてっぺんってゴールでは無いの?」と思われる人も多いと思います。
実はそうなんですよ…
先程書いたひとつ上達すると見える景色が違うって書かせてもらいましたね、、そう考えると山の頂上ってきっと素晴らしい景色が見える…と考えがちです。
確かに綺麗な景色は見えるのですが、本当の宝物は登ってきた山道にあるんですよ、、登っている時は山頂しか見ていないので足元が見えなかった…でも先程山頂は「悟りを開く為のスタートライン」と言わせてもらいましたね。
ガムシャラに目指してきたゴール=山頂を制覇できた瞬間に急に眼の前が開けて来て、そして今まで見えなかった宝物が見えてくる、、、、
実はそれが本当の宝物なんです。
山を下りて行く時に見逃した宝物の山がそこに見える
見事山頂に到達して変な呪縛がとれた瞬間に大事な宝物が見えるようになった人が下山する、、、そうするとそこには今まで見えていて見えなかった宝物が沢山転がっているはずなんです。
それを一つひとつ確認しながらポケットに詰め込んでいく。
これが修行という山登りの本当の意味なんですね!
何となく分かってもらえたかな?
またどこかでこの続きを紹介させてもらいますね。
今日のお薦め
何回か取り上げさせてもらっているカーペンターズ。アレンジの基本、コーラスの基本、メロディ作りの基本、楽器の基本などぜひ聞いてほしいアルバムです
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