お疲れ様です。
お元気ですか?
さて、作曲家志望のチャンプ坂本くんがトミー爺の事務所で雑談中、、なにやら色々と質問攻めしている様子です。
この記事の内容は
- その昔、編曲は作曲家がやっていた…
- 編曲家全盛の時代1970年~1990年、そしてDTMがその流れを変えた
- 作曲家はたくさん勉強しなければプロ活動は厳しい…
- 本日のお薦めの一枚
- 【トミー爺の関連サイト】
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その昔、編曲は作曲家がやっていた…
トミーさん、なんで作曲家がデモアレンジをしなくてはいけないんですか?
だって作曲家はメロディを作るのが仕事でしょ、、、
トミー爺 「チャンプくん、だね、、でも昔は作曲家が編曲までやっていたんだよね」
チャンプ 「そうなんですか?それがいいな…」
NHK朝ドラ「エール」って見ていましたか?
あの古関 裕而さんが主人公のドラマ、その中で作曲家はデモではなく「楽譜」をレコード会社に提出してシーン覚えていません?
そうなんです、あの時代は当然自宅録音など全く考えられない時代ですから、作曲家は楽譜を書いて提出していたんです。
でもある時期に作曲家は時間が無いので弟子に編曲を任せるようになった…それが編曲家が生まれた背景だったようです。
編曲家全盛の時代1970年~1990年、そしてDTMがその流れを変えた
そして1970年以降、職業アレンジャーが大活躍する時代に…トミー爺がロックオンで働いていたのもその時代、、それからMTR(マルチトラックレコーダー)が台頭してきて作曲家はMTRを使ってデモを作る様に…
そしてパソコンの普及とともにDTMやDAWと呼ばれる音楽ソフトが大流行、初心者でも自由に使えてデモを作れる時代に…
ということは以前の作曲家が編曲をやっていた時代に逆戻りしたって事かもしれませんね
チャンプ 「なるほど、、そういうことだったのか?」
トミー爺 「そうだね、、元の鞘に戻ったって事だよ、、」
チャンプ 「でもですよ、、作曲家に求めすぎじゃないですか?」
作曲家はたくさん勉強しなければプロ活動は厳しい…
DTMの発達でスタジオを使わなくてもレコーディングできる環境になり、世の中で音楽が売れなくなったのが引き金になりレコーディング予算が以前の1/10くらいに減った
イコール作曲家のデモをそのまま完パケまで持っていかなくてはいけなくなった…
ということで作曲家に比重が掛かってくるとプロとして活動するためには日々の勉強が必要になってきたということですよ。
チャンプ 「トミーさん、じゃどうやって勉強するの?」
トミー爺 「それは今度またブログで紹介するよ、、果報は寝て待て…じゃ」
チャンプ 「何が、じゃ、ですか、、頼みますよ、ぜったいですよ」
本日のお薦めの一枚
この映画、音楽がめちゃくちゃ良い!超お薦めの映画です
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