今日から新しく「トミー爺のある日のつぶやき」コーナーを作ってみました。
という事で「つぶやきトミー爺」です。笑い。
音楽全般で普段感じた事を紹介させてもらい、それについてちょっとしたウンチクを述べさせてくださいね、、、。
という事で実は軽~いコーナーです。
これからよろしくね。
この記事の内容は
【トミー爺のある日のつぶやき】
好きこそものの上手なれ、、音楽って創る、聴く楽しみが実感できると好きになる、、そして長く続けられると思う。トミー爺としてはその小さなアシストが出来る事がこの上ない楽しみでもあり喜び、、、
トミー爺の20代は挫折、挫折、失意…の日々
この時期のトミー爺はやる事、なす事全て中途半端、、、、
北海道の旭川市から東京に出てきた、、その時はクラシック音楽のレコーディングエンジニアになりたかったんです。
特に大好きで尊敬していた指揮者の小澤征爾さんと一緒に仕事がしたくて、専門学校に入り、ヤマハ日吉センターのスタッフとしてポプコン、イーストウエストなどのコンテスト、エレクトーンの日本トッププレーヤーたちとの仕事など華々しかったけど
- レコーディングエンジニア
- 舞台監督
- コンサートの演出家
- イベントの企画プロデューサー
- PAエンジニア
- バンドマネージャー
全てにチャレンジするも、自分よりも優秀な人が現れて、トミー爺は常に控え選手。
そんな中で唯一バンドを育てるのが性に合っていたのかな?
それは本当に楽しかった、、
今考えるとこの体験があったから30代でも音楽が出来たのかな?
30代に二人の恩師に出合えたことで音楽人生まっしぐら
ヤマハを退社、そして3年くらいはフリーランスのPA、舞台監督などをやって30歳に新しく出来る「作家事務所」にスタッフとして加入したところから「音楽人生の真のスタート」を出来た時期でした。
この時期に日本のトップミュージシャン、アーティスト、音楽制作マンたちとの出会いで本当に多くの事を学ばさせてもらったから現在になっても音楽を続けてこれたのかも…
特に感謝するのは二人の師との出会い
- レコーディングエンジニアA氏との出会い
この出会いが今の自分が一番影響された人かも…それまではバランスをとる音楽作りだったけど、楽器の音色を少し変えるだけで音楽がロックにも歌謡曲にも変容してしまう、、その面白さを教えてくれた大恩人 - ミュージシャン、プロデューサーN氏との出会い
彼との出会い、彼から受けた財産に関しては、その当時は全く理解できない状況だったけど、お互いに別々の仕事をするようになってからじわじわとその凄さが分かってきた…
彼の才能を理解する為に20年かかった、、、本当にそのくらいの時間が必要だったけど、彼から学んだ多くの事は今でも財産になっている
今考えるとこの二人との出会いが今のトミー爺を作っているって事かも…
但し、彼らと一緒に仕事をしている時は本当に大変だったのですけどね、、笑い。
そうそうその時も名言をつぶやいていた
「、、、みんな嫌いだ、、、」ってね、、笑い。
還暦過ぎてからは今までの経験を後輩に伝えたい
実はこの歳になり、なんかそう思うようになって来たんです。
トミー爺に限らず、他の音楽仲間もそういっている人が多いんです。
せっかく40年間音楽携わることが出来て、それも今と違うシステムの音楽作り方を経験して来たからこそ、後輩たちにその良さを伝え、そして次の世代に引き継いでいってもらえるように語り部になってみたい…
そう思って今回の「一言」をつぶやいてみました。
好きこそものの上手なれ、、音楽って創る、聴く楽しみが実感できると好きになる、、そして長く続けられると思う。トミー爺としてはその小さなアシストが出来る事がこの上ない楽しみでもあり喜び、、、
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